金髪美女が多いと言われているベラルーシ。
そんな国の国旗はまた独特な意匠を持っています。
しかし、この国旗が制定された裏では…
復活したばかりの違う国旗が可哀想な目にあっていたという事は余り知られていません…
果たして何があったのか?
違う国旗を襲った悲劇とは?
こうご期待!
もくじ
ベラルーシ国旗の意味
ベラルーシ国旗の制定の経緯
ベラルーシの意味
基礎情報(外務省HP)
まとめ
ベラルーシ国旗の意味
ベラルーシ国旗は旗竿側に織物模様。
赤色と緑色の横二色旗といったデザインになっています。
旗比率は1:2。
意匠が中央に無い国旗の旗比率としては良くあるパティーンです。
赤は栄光の社会主義、ベラルーシの歴史を表しています。
ベラルーシ軍が1410年のグルンヴァリトの戦いで使用した色でもあり
また第二次大戦中にドイツ軍と戦ったベラルーシ赤軍の赤でもあります。
次に緑色ですが、緑色は深い森林と明るい未来を表しています。
旗竿側の模様はベラルーシの民族固有の伝統的な織物の紋様とのことです。
この紋様は1917年にデザインされたものです。
ベラルーシ国旗の制定の経緯
9世紀頃…ポロツク公国が栄える
10世紀…トゥーロフ公国が栄えるが…モンゴルに征服される
12世紀頃…10個近くの小国家が建設されるがリトアニアの支配下に入る
16世紀頃…ポーランド・リトアニア共和国の支配下に入る。
18世紀末…ロシア帝国の支配下に入る
1917年、ロシア革命が起きる
1918年、ベラルーシ人民共和国が建国される。
これです。
なんか中黒(日本国旗の意味や由来参照)に似てますね…?
この国旗はかつてのリトアニア大公国の紋章の色である赤と白を採用しています。
白は国名の由来になった白ロシア人を表すと同時に「国土・自由・独立」を表しています。
中央の赤い帯は自由と夜明け、白の理念を邪魔するものに対して国民の血で守る決意、という意味がありました。
白ロシア人ってのはなんぞや?
幾つか説がありますが、1つ紹介しておきます。
13世紀にモンゴル支配下に入ったロシア人を黒ロシアと呼んでいます。
それとは逆にモンゴルの支配下に入らなかったロシア人を自由なロシア人で白ロシア人、ということからきています。
10世紀頃にモンゴルに支配されてたのでは…?
1919年…国民の血で守る決意を掲げた国旗を持つにも関わらず…ベラルーシ人民共和国は滅亡。
というのもベラルーシ人民共和国は憲法も軍隊も無かったのです。
そこにソ連の赤軍が侵攻してきたので…軍隊の無い国という事で一瞬で崩壊してしまいました。
一応亡命政府はあったようです。
そしてベラルーシ人民共和国は短命に終わり、白ロシア・ソビエト社会主義共和国となります。
国旗はこうなります。
当時のソ連の衛星国によくあるタイプの国旗ですね。
社会主義の赤に金色で国名の頭文字を記すタイプです。
1937年、鎌と鎚と星が追加されます。
1951年、旗竿側に紋様が追加。
更に緑色も追加。
いきなり今の国旗のデザインに近づきましたね。
この国旗は1991年のソ連崩壊まで続く事となります。
1991年8月25日、ソ連崩壊によりベラルーシ共和国として独立。
かつての旧国旗が復活します!
しかし…ご存知の通りこの国旗は今は使われていません…
そう、またもや短命で終わってしまうのです…
1995年、国旗が白ロシア・ソビエト社会主義共和国の国旗に近いものに変更。
但し、当時の国旗からは鎚と鎌、金の星を外したデザインとなりました。
更に旗竿側の織物模様の紅白を反転。
これを国旗とします。
良く見比べて下さい。
旗竿側の紅白が反転しているのがお解り頂けるのではないでしょうか?
尚、ソ連の支配下にあった頃の国旗にデザインを変更した理由としては、1994年の大統領選挙が原因だと思われます。
1994年の選挙でベラルーシの大統領になったルカシェンコ大統領は、ロシア連邦との統合を打ち出していました。
その為、以前の国旗のデザインを復活させたのではないでしょうか。
ただし、このロシア連邦との統合政策は、ロシアのプーチン大統領のベラルーシは統合ではなく吸収する。
というような発言によりベラルーシとロシアの関係は悪化。
現在のところ、統合は果たされていません。
結局僅か4年程で復活した国旗はまたもや消えてしまうのでした…
ここまで可哀想な国旗もレアな気がしますね…
2012年、紋様のデザインを若干変更したものが今の国旗となっています。
ベラルーシの意味
ベラルーシの国名の由来はスラヴ語から来ています。
ベラルーシとはスラヴ語で「白いロシア人」という意味です。
この白い、というのには幾つか説があります。
1つはベラルーシが小麦の産地であるために「小麦畑が真っ白な絨毯に見える」という説です。
国旗の旗竿側の紋様も白が基調なのでこちらを著者としては推したいですね。
もう1つは「モンゴルの支配下に入らなかった自由なロシア人」という説です。
既に一度記述しましたが、モンゴルの支配下に入ったのは黒ロシア人と言われています。
基礎情報(外務省HP)
国名:ベラルーシ共和国
建国年:1991年8月25日
国旗制定:1995年6月7日
旗比率:1:2
面積:20万76000平方キロメートル(日本の約半分)
人口:約950万人
首都:ミンスク
民族:ベラルーシ人(83.7%)、ロシア人(8.3%)、ポーランド人(3.1%)、ウクライナ人(1.7%)
言語:ベラルーシ語、ロシア語
宗教:ロシア正教(84%)、カトリック(7%)、その他(3%)、無宗教(6%)
通貨:ベラルーシ・ルーブル
国歌:我ら、ベラルーシ人
時差:-7時間
まとめ
・ベラルーシ国旗の赤色は栄光の社会主義、戦いの歴史
・ベラルーシ国旗の緑色は深い森林と明るい未来
・ベラルーシ国旗の旗竿側の紋様は民族固有の伝統的な織物紋様
・ベラルーシの旧国旗は1917年に制定されたが即消えた
・ベラルーシの旧国旗は1992年に復活したが95年にはまた消えた
・ベラルーシの旧国旗が今の国旗になった理由は恐らくロシアとの統合路線の為
・ベラルーシとは白いロシア人という意味
・白いロシア人というのは小麦の産地からという説
・白いロシア人というのはモンゴルの支配下に入らなかった自由なロシア人という説
ベラルーシ国旗、どうでしたか?
ベラルーシの旧国旗が余りにも可哀想な気がするのは著者だけでしょうか…
ここまで可哀想な扱いの国旗も珍しいと思います。
ベラルーシの体制が変わるとまた国旗も変わるのでしょうか?
また陽の目を見ると良いですね…
とはいっても今の国旗は国旗で旗竿側の模様が綺麗なのでそれはそれで、
と思わないでもないのですが…(どっちやねん)
すぐ隣のバルト三国がロシアに対しての警戒心がとても高いのに
対照的にベラルーシはむしろ統合路線だった、というのも面白いですよね。
わざわざソ連時代の国旗を復活させるくらいですからね…
この温度差は一体…と思った人はバルト三国の国旗の記事も合わせてお読みください。