エストニア国旗の意味や由来

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バルト三国の1つであるエストニア。

そのエストニア国旗はヨーロッパの国旗の中では

珍しい配色をした国旗と言えるでしょう。

そんなエストニア国旗について解説していきます。

また、エストニアの辛い歴史にも触れて行きます。

大変だったな…と思います。

 

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もくじ

エストニア国旗の意味

エストニア国旗の制定の経緯

エストニアはこんな国

エストニアの意味

基礎情報(外務省HPより)

まとめ

 

エストニア国旗の意味

このエストニア国旗は横三色旗であり、上から青・黒・白の

配色となっています。

旗比率は7:11。

北欧諸国はイレギュラー(?)な旗比率が多いのですが

エストニアも北欧への帰属意識が高いためか7:11と

珍しい旗比率です。

 

それでは色についての説明をしていきます。

青色はエストニアの空と海と湖と河、

そしてエストニア国民をも表しており

エストニアに対する忠誠と希望、友情や団結、そして自由

も表しています。

 

また、青色はフィンランドでも見られるように

フィン・ウゴル語派の民族の伝統色でもあります。

 

黒色はエストニア国民の苦難の歴史とエストニアの大地、

そして祖先も表しています。

 

白色は高潔さと氷と雪、人々の幸福、自由への戦いを意味します。

 

総括するとエストニア国旗の配色は珍しいですね。

というのも黒色を採用しているヨーロッパの国旗は

アルバニア・ドイツ・ベルギー・エストニア、

の4か国しかありません。

 

…。

珍しくない気もしてきましたがまぁ置いておこう!

ドイツとベルギーは同じようなもんですし!

※ドイツ国旗とベルギー国旗が似ているのは偶然です。

詳しくは当サイトの記事をお読み下さい

 

黒色は汎アラブ色…中東諸国の国旗やアフリカの国旗に

良く見られます。

しかしヨーロッパではレアなのです。

 

エストニア国旗のデザインは1881年に

学生組織「エストニア学生協会」によって作成されました。

次はこの国旗がどのような変遷を経て制定され、復活するのか

見て行きましょう。

 

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エストニア国旗の制定の経緯

エストニアは元々エストニア族が居住していました。

そこに移住してきた東スラヴ人やノルマン人が移住してきて

混血が進んで10世紀くらいまでにエストニア民族が

形成されました。

キリスト教布教のために騎士団などが進出してきたりしました。

が…現在の状況を見るに余り効果は無かったようですね。

※エストニア国民の大半が無宗教

その後1710年から現在の首都であるタリンが

ロシア帝国の支配下に

1721年にはエストニア北部もロシア帝国の支配下に

入りました。

ロシア帝国は支配者層のバルト・ドイツ貴族を優遇し

エストニアの農民達は厳しい生活を強いられました。

 

1881年、ロシア皇帝に即位したアレクサンドル3世により

エストニア人、ラトビア人の民族運動は制限されました。

この頃、学生組織「エストニア学生協会」により

エストニア国旗の原型がデザインされました。

 

1917年、ロシア革命が起きます。

1918年、エストニア共和国として独立宣言しました。

この時、公式に国旗として制定。

今の国旗と同じ物が国旗になりました。

 

1939年、第二次世界大戦がはじまる。

ドイツとソ連がポーランドへ侵攻。

ソ連はその後、バルト三国にソ連の支配下に下るよう

使節を派遣しました。

1940年、エストニアはソ連軍の進駐を受け入れ、また

ソ連の傀儡である新政府も樹立させられました。

国旗も変更されました。

ソ連を占領した当初に8000人を逮捕しました。

その中には国の指導的政治家と軍人も多く含まれていました。

2200人はエストニアで処刑され、残り大部分の人はロシアの収容所

へと送られました。

 

1941年、ナチスドイツによって占領されました。

1944年、ソ連軍に再占領されます。

 

第二次大戦中、多くのエストニア人がシベリア鉄道の

建設などに駆り出され多くの人が亡くなりました。

 

第二次大戦が終了した後もエストニアはソ連の

一部であり続けました。

 

1953年、国旗が変更されます。

尚、裏面には星と鎚と鎌がありません。

 

その後、ゴルバチョフの登場により独立運動が

盛んになります。

 

1990年、国旗を元来のエストニア国旗へと戻します。

1991年、エストニア共和国として独立しました。

 

その後はEUに加盟し、西欧諸国との結びつきを

強めて行っています。

まぁ…ロシア帝国からソビエト連邦に至るまでの待遇を鑑みれば…

そうなりますよね…。

ロシア連邦との間にも国境問題がありましたが

2014年にペツェリ地区を放棄して解決しました。

 

エストニアはこんな国

エストニアはヨーロッパ北東部のバルト三国の一つです。

バルト三国というのはバルト海の南側、ポーランドの北側に

位置するエストニア・ラトニア・リトアニアを指します。

エストニアはそのバルト三国の中でも最北端に位置しています。

 

エストニアは報道の自由度ランキング上位の国です。

エストニアは政府などの汚職がとても少ない国で

それもあっての報道の自由度ランキング上位、

というのもあるかもしれませんね。

 

スカイプもエストニアの企業が開発しました。

ITがとても進んでいます。

 

また電子政府を設置しています。

日本では電子政府(番号制等)のとりくみにあれこれと

声が上がっていますがエストニアは逆に紙を使う方が

プライバシーが無いケースもあるというのを

ソ連占領下で良く知っているのかもしれません。

 

占拠もネットで行い、税の徴収もネットで自動的に計算される

ということで税の徴収コストもとても安く済んでいるとか。

 

これらの背景には広い国土にたいして点在している少ない人口、

というのが挙げられます。

 

人を設置しての行政サービスを行うには人が分散しているため

ITを活用する方が効率的なのです。

 

エストニアの意味

エストニアはエスティ、から由来しています。

これは国民の大半を占めるフィン系民族であるエストニア人が

自分達をエスティと呼ぶ事から来ています。

エスティというのは東のという意味で、国名は東の国という意味です。

著者の想像ですが、エストニアはバルト海の東側にあるのでエスティ、と

なったのではないかなと思います。

 

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基礎情報(外務省HPより)

国名:エストニア共和国

国旗制定:1990年8月7日

独立:1991年9月6日

旗比率:7:11

面積:4.5万平方キロメートル(日本の約9分の1)

人口:約132万人

首都:タリン

言語:エストニア語

宗教:国税調査によれば国民の半数以上は無宗教。

後はロシア正教、プロテスタント等

通貨:クローン

国歌:我が故国、我が誇りと喜び

時差:-7時間

 

まとめ

・エストニア国旗は横三色旗

・青は空や海や湖や忠誠や希望や自由を表す

・黒は民族の苦難の歴史、祖先、大地

・白は高潔さと雪と自由への戦い

・エストニア国旗は黒色を採用しているヨーロッパではレアな国旗

・エストニア学生協会によって国旗の原型が作成された

・1918年に一度国旗として制定された

・1990年、独立に先駆けて国旗は復活した

・エストニアは東の国という意味。恐らくバルト海の東岸に位置する為

・エストニアはバルト三国と呼ばれる国の一つ

・エストニア国民の大半は無宗教

 

以上です。

バルト三国の一つ、エストニア共和国でした。

どうでしたか?

尚、電子政府化を進めるのはロシアに対しての

牽制の意味合いも強いとのことです。

 

まぁあんだけされてくれば…ウン…

そうなるのもしょうがないよねと思いますはい。

 

西欧諸国に近づくのも当然ですね…

自治独立が続く事を祈っております。

 

あ、でもソ連時代の国旗は

なんかちょっとかわいかったですね。

 

エストニア国民の大半が無宗教というのも

珍しい気がしますね。

西欧人は信心深い人多いですし…

アメリカ等では無宗教というと大丈夫?野蛮人?とか

言われちゃうから…

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コメント

  1. シオハラ より:

    良い記事でした

    1. Hide より:

      有難うございます!

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