緑地に白い縦帯の入った三日月と星のパキスタン国旗。
イスラム教色を全面に押し出した国旗ですが、何故そうしたのか?
それにはパキスタン成立の経緯が関係していました。
国旗を知ればインド・パキスタン・バングラデシュの、ちょっとだけ複雑な関係もより解り易くなる…かもしれません。
ここで勉強していきませんか?
もくじ
パキスタン国旗の意味
パキスタン国旗の制定までの経緯
パキスタンの意味
基礎情報(外務省HP)
まとめ
パキスタン国旗の意味
パキスタン国旗は「サブズ・ヒラリ・パルチャム」(緑月旗)
の愛称で呼ばれています。
まぁそのまんまですね!
パキスタン国旗のデザインの原型は
「全インド・ムスリム連盟」の党旗をモチーフにしています。
この「全インド・ムスリム連盟」は1906年に結成されました。
活動内容はインドにおけるイスラム教徒の建国、です。
この時の党旗のデザインは旗竿側の白い帯が無い形のものです。
考案者は「パキスタン建国の父」と呼ばれる
ムハンマド・アリ・ジンナーです。
それではパキスタン国旗のデザインについて視て行きましょう。
パキスタン国旗は旗竿側に白い縦線。
残りは緑地に白い月と五陵星。
旗比率は2:3。
2:3という旗比率は意匠の入っている旗の比率としては
良く見られる比率です。
それではパキスタン国旗の色や意匠について
解説していきます。
まず三日月と星はイスラム教のシンボルですね。
更に月は進歩と発展を象徴しています。
星は光と知識を象徴しています。
次に緑色ですが…
緑色はイスラム教の伝統色でもあり、繁栄を意味します。
何故緑色がイスラム教の伝統色かと言いますと
イスラム教の開祖であるマホメットのターバンの色が
緑色だったから、というのが理由のようです。
因みに、緑色もしくは黒色のターバンの着用が
許されているのはマホメットの子孫のみとか…
次に旗竿側の白色ですが、これは
イスラム教徒以外の国民や少数民族を表します。
最後に、三日月と星、そして旗竿側の白色は
光と平和を意味しています。
総括してみると、イスラム教国であり、
またイスラム教徒以外に少数民族等が
居るんだろうな、という事が解る国旗となっています。
因みにイスラム教徒以外の宗教は恐らくですが
ヒンドゥー教が多いと思います。
もしくは仏教ですかね。
理由はパキスタンがインドから独立した国、だからです。
そこらへんの詳細については次の章をご覧下さい。
パキスタン国旗の制定までの経緯
イギリスによってパキスタンは植民地にされていました。
ここで重要なポイントは「パキスタンはインドと一緒」に
イギリスによって植民地にされていたことです。
1947年、イギリスはインドとパキスタンを手放します。
この時にパキスタンとインドは分離独立をする事になります。
何故分離独立をする事になったのかと言いますと…
一言で言ってしまえば宗教です。
インドにはヒンドゥー教徒が多く、パキスタンにはイスラム教徒が
多かったのです。
このヒンドゥー教徒とイスラム教徒の争いは収まらず
その為にインドとパキスタンはそれぞれ個別に独立する事になったのです。
こうして1947年8月14日に独立したパキスタンは
独立した同日に今の国旗を制定する事となるのです。
因みにガンジーはヒンドゥー教徒でしたがイスラム教徒に対して
寛容だった為、ヒンドゥー教の過激派に暗殺されてしまいます。
それくらいにヒンドゥー教徒とイスラム教徒の対立は
深刻だったと言えるでしょう。
だからこそパキスタン国旗はイスラム教色を
前面に押し出しているのでしょう。
ヒンドゥー教国家のインドとは違う!!
という力強いアピールを感じますね。
また、インドの東側に居住していたイスラム教徒も居ました。
彼等は東ベンガルに多く存在しており、インドとパキスタンが
イギリスから独立する際に同じイスラム教国であるパキスタンの
一部として独立する事にしました。
この地方は東パキスタンと呼ばれる事となったのです。
つまり当時、インドの東西はパキスタンに挟まれていました。
逆に言えばパキスタンはインドによって東西に分断されていた、
という見方もできますかね。
尚、東パキスタンと西パキスタンは分断されているだけでなく
使用言語も東パキスタンがベンガル語であり、西パキスタンは
ウルドゥー語ということ、更に政治の中心が西パキスタンであった
ということから様々な対立が起こる事となります。
インドとパキスタンはその後もたびたび衝突を繰り返す事となります。
パキスタン国旗制定の経緯についてはもうお終いですが
折角なのでその後の両国の衝突について触れておきます。
1947年-1949年に第一次印パ戦争
カシミール地方の領有権を巡って武力衝突が起きました。
国連の仲裁で停戦しました。
この時の国名はパキスタンです。
1956年、パキスタン・イスラム共和国に改名
1962年、パキスタン共和国に改名
1965年―1966年に第二次印パ戦争
再びカシミール地方の領有をめぐって武力衝突。
再び国連の仲裁で停戦。
1971年に第三次印パ戦争
1970年、台風の影響で東パキスタンに多大な被害がでました。
しかし西パキスタン政府は対応せず、東パキスタンでは独立の機運が
高まる事となります。
これにたいして西パキスタンは軍隊を派遣。
結果として東パキスタンから難民がインドへとなだれ込みます。
インドも裕福な国とは言えない為、東パキスタンを独立させる為に
軍事介入を行う事になりました。
こうして三度目のインドとパキスタンの戦いが行われる事となります。
1971年には東パキスタンはバングラデシュとして独立する事となるのです。
余談ですが、バングラデシュがイスラム教国にも関わらず
バングラデシュ国旗に月と星を採用しなかったのは
パキスタン国旗と被るのが嫌だったから、という説もあります。
1973年、パキスタン・イスラム共和国へと改名
現在もこの名称です。
1999年、カールギル紛争
カシミールでパキスタン軍と反インド政府活動家が
インド軍の駐屯地を占領することで両軍が激突。
こうしてみるとパキスタンは四方八方と喧嘩しているように
見えてしまうのですが(笑)
また、インドがヒンドゥー教へと傾倒していくのに対抗して
パキスタンはイスラム教に傾倒していき政教一致の状態へとなっていきます。
このへんの経緯はトルコがイスラム教から政教分離していったのとは
対照的で実に興味深いですね。
パキスタンが度々核開発疑惑で騒がれていたのは
インドが核保有をしているため、それに対抗する為に
秘密裡に核開発をしていてもおかしくない状況下に
あるからでしょう。
こういう思想的・宗教的対立は根が深いから大変ですね…
パキスタンの意味
パキスタンの由来には幾つか説があります。
ペルシア語の「清廉な国」を意味するパーキスターンからという説。
他には地名のパンジャブ(P)、アフガニア(A)、カシミール(K)、シンド(S)
の頭文字とバローチスタン(TAN)から名付けたという説もあります。
基礎情報(外務省HP)
国名:パキスタン・イスラム共和国
独立:1947年8月14日
国旗制定:1947年8月14日
旗比率:2:3
面積:79.6万平方キロメートル(日本の約2倍)
人口:1億9540万人
首都:イスラマバード
民族:バンジャブ人、シンド人、パシュトゥーン人、バローチ人
言語:ウルドゥー語、英語
宗教:イスラム教
通貨:パキスタン・ルピー
国歌:神聖なる大地に祝福あれ
時差:-4時間
まとめ
・パキスタン国旗の相性は緑月旗
・パキスタン国旗の緑はイスラム教と繁栄を意味する
・パキスタン国旗の月はイスラム教と進歩と発展
・パキスタン国旗の星はイスラム教と光と知識
・パキスタン国旗の白色は光と平和
・パキスタン国旗の旗竿側の白い帯は少数民族と非イスラム教徒
・パキスタン国旗の原型は全インド・ムスリム連盟の党旗
・パキスタンはイギリスからインドと同時に分離独立した
・パキスタンから独立したのがバングラデシュ
以上です。
結構ここらへんややこしかったですね。
インドと同時に分離独立したのがパキスタンと東パキスタン。
その後、パキスタンから独立したのがバングラデシュ。
いつも思うんですがなんでこう偏った政策をするんですかね…
まぁ単一民族国家と言われている日本人だといまいち解らない
感覚なのかもしれませんが…。
興味のある方はインド国旗やバングラデシュ国旗の記事を
お読みになられるとより理解が深まるかもしれません。
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