トルコ国旗の意味や由来

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トルコ共和国の国旗はイスラム教国の国旗達に多大な影響を与えた国旗です。
赤地に三日月と星。
これに似た意匠の国旗を幾つか目にしたことのある人も多いのではないでしょうか。
その原点たるトルコの国旗についてここでは解説します。
その由来は実はかなり意外な処からだったんです。
これには著者もびっくり仰天しましたよ!

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もくじ
トルコ国旗の意味
トルコ国旗の由来
トルコの由来
基礎情報
まとめ

トルコ国旗の意味
ではトルコ国旗の意味について視て行きましょう。
トルコ国旗は様々な呼び名を持っており「新月旗」「月星章旗」
「アユ・ユルドゥス」(月と星)と呼ばれています。
トルコ国旗のデザインは赤地に白い三日月と五陵星です。
三日月と星で進歩、トルコ人の団結と独立を表しており、
同時に善と幸福の象徴と解釈されています。
赤は第二正統派カリフのウマル一世の色と言われています。
カリフというのはイスラム教国の最高指導者の称号です。
まぁキリスト教でいう教皇みたいなものと思って貰えればいいと思います。
尚、このデザインの起源については諸説あります。
①三日月は、コンスタンティノープルの守護神である月の女神アルテミスからで、
星は、聖母マリアゆかりの明けの明星「ベツレヘムの星」にちなむというもの。
これはどちらかというとコンスタンティノープルの市章の由来ですね。
②戦場に残った血の海に三日月と星(水星)が映っていた説。
これはトルコ革命時とコソボの戦いの時で2つ説があります。
③コンスタンティノープル陥落の夜にメフメト2世が三日月と星を夜空にみた説
④オスマン1世の夢の中で胸から三日月と星がでてきて、
大きくなってコンスタンティノープル陥落の前兆を知らせた説。

視ていただくと解ると思うんですが、コンスタンティノープルに
関係している説が多いですね。
それというのもイスラム教が成立する以前から月と星に関しては
コンスタンティノープルの市章として用いられてきたからです。
だからコンスタンティノープルに由来する説が多いのでしょうね。
また、オスマントルコは何度もコンスタンティノープルを攻めています。
そこまで執着したのでコンスタンティノープルの市章が取り入れられても
おかしくはないのかもしれません。

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トルコ国旗の由来
トルコ国旗の原型はコンスタンティノープルの国章に見て取れます。
13世紀末、コンスタンティノープルが陥落し、ビザンツ帝国の長い歴史に幕が降りました。
しかし、コンスタンティノープルの国章は支配者が
オスマン・トルコに代わった後も受け継がれ、月と星のままでした。
ただし、国旗に関しては三日月に無地の赤色か緑色が使われる事が多かったのです。
1793年、セリム三世が赤地に三日月と星を組み合わせた旗へと変更しました。
これが今アユ・ユルドゥスの始まりと言われています。
この時の星は五陵星では無く八陵星でした。
1826年、一時期星が取り除かれていましたがこの年に星が復活しました。
1842年、八陵星が五陵星へと変更されました。
こうして現在のトルコ国旗の姿が完成したのです。
このトルコ国旗は以後、イスラム教国の国旗に多大な影響を与える事となります。
ここでの疑問は…何故コンスタンティノープルの紋章を引き継いだのか、という事と
星を八陵星から五陵星にしたのか、ということですが…
まず一つ目は単純にコンスタンティノープルが凄い都市だったから、かなぁと…
メフメト2世はコンスタンティノープルを攻略した後、すぐに遷都しましたからね。
また、コンスタンティノープルを陥落させる為にイスラム勢は何度も包囲しています。
念願かなって陥落させたのでそのまま国章も引き継いだ…ということでしょうか。
いやまぁ筆者の完全な想像なんですけどね。
コンスタンティノープルはそれだけ当時の人々にとっては文化の集積地、
憧れの地だったんですよ!!(と、力説しておこう)
次に八陵星が五陵星になった理由は…解りませんね!!
完全にこれは趣味ではないかと!(酷)
いや~八陵星がそもそも八包囲を象徴しているくらいしか解らなくてですね…
五陵星は五惑星を対応させただの五エレメントを対応させただのありますが…
良く解りません(笑)
なのでデザイン上の趣味としか…

トルコの由来
トルコの由来ははっきりしており…トルコ族という民族名がそのまま国名になりました。
いやぁ解り易いですねぇ。
トルコ族そのものは何ぞや?という話ですが、どうも中央アジアの騎馬民族の
チュルク族のようです。
中央アジアの騎馬民族というと中国を脅かし続け、
ローマ帝国に多大な影響を与えるゲルマン民族の大移動の原因となり、
更にはチンギス・ハーンの登場により強大な騎馬民族国家が生まれ
西欧まで攻め上ってきたりと…とても迷惑強い民族です。
オスマン・トルコが圧倒定期勢力図を築いたのも祖先が
中央アジアの騎馬民族の流れを汲んでいるなら納得ですね。
因みに、チュルクというのは力強い人、や軍団、という意味を持ちます。
しかし、同じ中央アジアの騎馬民族が西進してきた時、立ちはだかったトルコが実は源流を同じくするというのは皮肉な話かもしれませんね。
尚、西進してきたモンゴル帝国を押しとどめたのがキリスト教とイスラム教に
西進してきた汗(カン…司令官みたいなもの)がそれぞれキリスト教とイスラム教に
従った為、お互いに牽制しあう内輪もめ状態になったのも一因、
というのは面白いですよね。
イスラム教とキリスト教の対立がまさか西欧を護る事になろうとは(笑)

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基礎情報
国名:トルコ共和国
建国:1923年
国旗制定:1936年
旗比率:2:3
面積:780,576平方キロメートル(日本の約2倍)
人口:79,814,871人(2016年、トルコ国家統計庁)
首都:アンカラ
民族:トルコ人
言語:トルコ語
宗教:イスラム教(スンニ派,アレヴィー派)が大部分を占める。
その他ギリシャ正教徒,アルメニア正教徒,ユダヤ教徒等。
通貨:トルコ・リラ
時差:-7時間
国家:独立行進曲

まとめ
・トルコ国旗の愛称は「新月旗」「月星章旗」「アユ・ユルドゥス」(月と星)
・三日月と星で進歩、トルコ人の団結と独立を表しており、同時に善と幸福の象徴。
・赤は第二正統派カリフのウマル一世の色
・三日月と星の由来は諸説があるがコンスタンティノープルが関わっている事が多い
・トルコの国名は民族のトルコ族からきている
・トルコの国旗はイスラム教国の国旗に多大な影響を与えた
以上です。
どうでしたか?
トルコ国旗の由来には色々説がありましたが…
いずれにせよコンスタンティノープルが影響している可能性は、
非常に高いのでは?と著者は思います。
これ、よくよく考えたら凄い事なんですよ?
キリスト教、イスラム教ともに、自分の信仰を信仰していない者は
人間じゃないから奴隷にして良い。
という理屈でお互い奴隷にしあい、ずっと戦っていたのにも関わらず…
キリスト教国のビザンチン帝国の首都の市章を国旗に取り入れるとか、
普通に考えたら狂ったのかカリフ!!ってなる事態ですからね。
そう考えるとコンスタンティノープルに関係していない説は、
無くてはならなかったのかもしれません。
コンスタンティン―プル由来の説の真偽がどうであれ
生粋のイスラム教徒からしてみればは?ふざけんなよ!となる案件です。
それを誤魔化すというと言い方は悪いですが、目を逸らせる説というのは
そう言う説がある、ということ自体が重要なのかなと。
そう考えればあれだけ諸説入り混じっているのも解らないでは無い気がします。
それとトルコ国旗の歴史ですね。
日本の日章旗は起源がかなり古いのですが…
トルコ国旗の起源がコンスタンティノープルとすると、
日章旗と同じようにトルコ国旗は国旗の世界ではものすご~い古株になるんですよね。
実はここまで古い国旗は中々無いですから…
そう考えると新月旗は凄い旗なんだなぁ…ということですね。
コンスタンティノープルの市章がいつからあるかは解りませんが
一番古い場合4世紀頃からその原型があるという事になりますからね。
これはめちゃくちゃ古いですよ!
次回予告:ネパール国旗
ネパール国旗といえばアレでしょう。
世界で唯一アレな旗です。
アレって何なんでしょうね?
てことはネパール国旗は万国旗とかには入ってないのかな…
だってアレだもんなぁ…気になるな…いやでも見たことある気もするんですよね
バランス悪くなるよね?
と言いつつ気になる方はネパール国旗へGO!

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