マケドニア国旗の意味や由来

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マケドニア国旗は大変な変遷を経た国旗です。

その成立も大変。

成立後も国名と国旗に文句をつけられて大変。

国旗を変えたら変えたで旭日旗に似ているというので、

ちょっと大変?

頑張れマケドニア!

負けるなマケドニア!

というわけで何がそんなに大変なのか…

一緒に見て行くとしましょうかっ!!!!!

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もくじ

マケドニア国旗の意味

マケドニア国旗の由来

マケドニア国旗(旧)の意味

マケドニア国旗とギリシャの対立

マケドニア国旗と旭日旗の関係

マケドニアの由来

基礎情報

まとめ

 

マケドニア国旗の意味

マケドニア国旗の説明をしていきます。

マケドニア国旗は赤地に8本の光線と日輪から出来ています。

旗比率は1:2。

長方形な旗ですね。

 

赤色は自由と進歩を求める戦いを表しています。

黄色は太陽は生命力と歓喜を表しています。

 

8本の光線については資料を当たってみたのですが…

出てきません!!

マケドニアの州とか地方自治体の数かな~とか思い調べてみましたが…

マケドニアはオプシュティナと呼ばれる行政区分で分けられていますが、

その数…10!!

8じゃない!!オーマイガー!!

民族も8以上ありそうだけど主要民族は3前後…。

アレクサンドロス大王で8関係の逸話も無いっぽい…クッ…!

ううむ…解らぬ…!!

とりあえず保留…ごめんね…

 

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マケドニア国旗の由来

マケドニア地域はアレクサンダー大王の時代が終わると、

ローマ帝国の属領、その後東ローマ帝国の一部となりました。

 

その後、東ローマ帝国の力が衰えてくると群雄割拠の状態となります。

 

12世紀末には第二次ブルガリア帝国、セルビア王国、ラテン帝国、ニカイア帝国、

といった国家での勢力争いが繰り広げられます。

その後オスマン帝国の侵攻により1371年にマケドニアは、

オスマン帝国の支配下となりました。

 

1878年、オスマン帝国からブルガリア公国が独立。

したがマケドニア部分はオスマン帝国にまた併合されます。

 

1912年、第一バルカン戦争でオスマン帝国はマケドニアを失う。

しかし、マケドニアの支配権をブルガリア、セルビア、ギリシャが主張。

話がまとまらない為第二次バルカン戦争へと発展。

なんか一向にマケドニア建国できそうな気配がありませんね…

 

1913年、第二次バルカン戦争。

マケドニア地域の南部5割をギリシャ、西北部4割はセルビア(のちのユーゴスラビア)、ブルガリアは1割を手に入れる。

この西北部4割のセルビア領が、今のマケドニア共和国の領土となります。

 

1939年、第二次世界大戦。

この時ブルガリアは枢軸側につき、マケドニアへ侵攻、支配。

しかし敗戦に伴いユーゴスラビアはマケドニア北西部の支配を回復。

そのまま共産主義の連邦国家となる。

マケドニア人民共和国と呼称しました。

この時に制定された国旗がこちらです。

マケドニア人民共和国国旗

ザ・社会主義国家!

って感じの国旗ですね。

赤は社会主義、金の星も社会主義!

この国旗は1946年から1991年まで使用されることとなります。

 

1963年、マケドニア社会主義共和国と呼称を変更。

 

1990年、国名がユーゴスラビア共和国へと改称される。

 

1991年、マケドニアはユーゴスラビアから独立。

この時に古代マケドニア王朝由来の意匠を国旗とします。

それがこれです。

旧マケドニア共和国国旗

1993年、国連に加盟申請するがギリシャがガンギレ。

国名をマケドニア旧ユーゴスラビア共和国、に変更して国連へ加盟。

 

1994年、それでも怒っていたギリシャは経済封鎖を実施。

そこまでするのかギリシャ…

 

1995年、国旗と憲法を変更。

ギリシャの経済封鎖解除。

これで現在の国旗となりました。

 

 

マケドニア国旗(旧)の意味

マケドニア旧国旗はベルギナの星、と呼ばれています。

大小16本の光線を放つ星の意匠です。

これはアレクサンドロス大王の古代マケドニア王国の家紋です。

日の沈まない大帝国の象徴とされています。

しかしマケドニア共和国は国旗と国名の両方を、

ギリシャの抗議によって変更させられることとなるのです。

このベルギナの星は星と言われていますが、

陽の沈まない大帝国の象徴という話もあるように、太陽光線という説もあります。

 

マケドニア国旗とギリシャの対立

さて、ギリシャはマケドニアが採用した、

ベルギナの星の国旗と、マケドニアという国名に猛反発しました。

それというのも、ギリシャはマケドニア地方の南部を治めているのです。

つまり何俺達をさしおいてマケドニアとか使っているの?

という話になるわけです。

しかもギリシャのマケドニア領の旗がコレ!

ギリシャ領マケドニア

…。

うむ…まぁ切れてもやむなしでは…?

これがまたマケドニア地方じゃない処の旗がたまたまコレ、とかならね。

まだね、解らないでもないですよ。

すぐ隣同士でマケドニアの名前をお互い冠していたらね…?

しかもギリシャは古代マケドニア王国の継承者を自認しているらしいです。

アレクサンダー大王、大人気やな…いやまぁ凄い業績を成し遂げた人ですが…

因みに国名も変えろと怒っていました。

切れすぎて最終的には経済封鎖を行うという始末…。

尚、当時のマケドニアはギリシャからの輸入に頼っていたため、

ギリシャに経済封鎖されるとどうしょうもなく要求を呑むしかなかったとの事。

こんな理由があって今の国旗へと変更する事になったのです。

しかしマケドニアの受難はまだ続くのであった…(おい)

 

マケドニア国旗と旭日旗の関係

新しくなった新生マケドニア国旗でしたが、ある旗と似ていました。

そう、それはコレ…。

旭日旗

マケドニア共和国国旗

うん。

まぁそれなりに似ていますねウン…。

日本の旭日旗と似ていますね…。

という事でこの新マケドニア国旗が旭日旗に似ている!!

と、韓国人の方などが怒っているようです…。

一難去ってまた一難とはこの事か…

実際旭日旗とマケドニア国旗に関連性は…

うーん、無いのではないでしょうか。

まぁ太陽を意匠に採用して太陽から光線伸びていたら…

大体こんな感じのデザインになりますよね。

ギリシャの次は韓国やら中国に…

ただ、正式に政府レベルでの抗議は今の処無いようです。

まぁ無駄に喧嘩売るのもって事でしょうね。

因みに良く混同される旭日旗と日章旗の違いについては日本国旗の意味や由来について記述してあります。

よろしければ合わせてお読みください。

 

マケドニアの由来

マケドニアの由来について話します。

こだは古代ギリシャ語の「Machados」(マケドス/高地の人)に由来しています。

マケドニア共和国はその由来の通り国土の大部分が山地の内陸にあります。

高山地帯であり、まさに高地の人、の呼称にふさわしい地域と言えます。

 

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基礎情報(外務省HPより)

国名:マケドニア旧ユーゴスラビア共和国

建国:1991年

国旗制定:1995年

旗比率:1:2

面積:2万5713平方キロメートル(九州の約3分の2)

人口:208万人

首都:スコピエ

言語:マケドニア語、アルバニア語

宗教:キリスト教7割、イスラム教3割

民族:マケドニア人、アルバニア人、他

通貨:マケドニア・デナル

時差:-8時間

国歌:今日マケドニアの上に

 

まとめ

・赤色は自由と進歩を意味する

・黄色の太陽は生命力と歓喜を表す

・マケドニアという名称だがマケドニア地方の北西部しか治めてない

・マケドニアの旧国旗はベルギナの星の意匠だった

・ベルギナの星は古代マケドニア王国の家紋で沈まぬ夕陽を意味する

・マケドニアはギリシャの抗議により国名と国旗を変更する羽目になった

・変更したらしたで旭日旗に似ているという理由で叩かれているらしい

 

以上です。

なんかこうしてみると結構な哀しみを背負っていないか…?

という気分になってくるのですが僕だけですかね…

オスマン帝国に統治されていてようやく解放されると思った矢先、

三国に分割統治され…

やっと独立(?)したと思ったら今度は国名と国旗を変えさせられ…

大変すぎでは…

 

次回予告:南アフリカ国旗

レインボーフラッグの異名をとる華やかな国旗!

使われている色の数はな、な、なんと…!!

幾つだと思います?

国旗の中ではかなり多い方だと思います。

(配置されている意匠にちょいちょい使われている色とかは置いておくとして)

こうご期待です。

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