ウルグアイ国旗の意味や由来

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ウルグアイには3つの国旗があるのはご存知でしたか?

日本の丁度反対側に位置するウルグアイ国旗は良く知られているもの以外にも2つの旗があるのです。

良く知られているウルグアイ国旗は星条旗とアルゼンチン国旗の影響を受けていると言われています。

何故そのような事になったのか?

残り2つの国旗は何なのか?

ここで見て行きましょう!

 

目次

ウルグアイ国旗の意味

ウルグアイ国旗の由来

ウルグアイ国旗の制定の経緯

ウルグアイの意味

基礎情報(外務省HP)

まとめ

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ウルグアイ国旗の意味

ウルグアイ国旗はカントンに9本の横縞で構成された国旗です。

カントンとは国旗の左上の部分を指します。

旗比率は2:3です。

2:3は国旗の旗比率としては多い部類に入ります。

ただ、デザインを意識したと言われているアメリカ国旗の旗比率は10:19

旗比率の方までは意識しなかったようです。

まぁちょっと特殊過ぎるのでそこまで真似するのは…

ということかもしれません。

 

それではウルグアイ国旗の意味について説明していきます。

左上の太陽のマークはアルゼンチン国旗をモデルとしています。

アルゼンチン旗

こんな感じですね。

これは五月の太陽と呼ばれる標章です。

アルゼンチン国旗に使われている図案を意識したものです。

五月の太陽の詳細についてはアルゼンチン国旗の方を…

と言いたいですが簡単に説明しておきます。

 

1810年5月25日の太陽を様式化した独立の象徴です。

この日にスペインから独立する為に決起を行ったのです。

独立を決起したこの日、なんと長く降り続いていた雨が止みました。

カラリと晴れ上がった日を見て、兵士は勝利を確信したとの事です。

 

また、太陽は自主独立のシンボルともされています。

 

次に、青と白の二色の横縞です。

この9本の横縞の9は、独立時の9地方を意味しています。

青色は自由と正義を意味しています。

白色は平和を表しています。

 

この青と白の配色もアルゼンチン国旗を意識しています。

アルゼンチン国旗のライトブルーは大空と国土を意味します。

白は国民の純潔さと大河ラプラタ川を意味しいます。

 

色までは意味を似せなかったというのも面白いですね。

 

この青と白が交互にくる横縞のデザインはアメリカ国旗も意識していると言われています。

アメリカ国旗である星条旗も横縞の数が独立13州である13本だったので、ウルグアイ国旗の9本も同じ意味あいを持っているということになりますね。

 

では何故アルゼンチン国旗とアメリカ国旗である星条旗を意識する事となったのでしょうか?

そこらへんを見て行きたいと思います。

 

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ウルグアイ国旗の由来

ウルグアイはブラジルに併合されていました。

1828年、ウルグアイはブラジルからの分離独立に成功します。

この時、ウルグアイ独立運動の指導者であったホセ・アルティガス将軍がウルグアイ国旗をデザインしたと言われています。

ホセ将軍は国旗をデザインする際、独立運動を支援してくれたアルゼンチンに敬意を表し、アルゼンチン国旗の意匠を取り入れる事にしたのです。

また、アメリカ国旗のデザインも意識しました。

というのも、アメリカは当時大国だった英国との独立戦争に勝った為、独立戦争といえばアメリカ!!

という事で、アメリカにあやかって星条旗のデザインを意識した…

と、言われています。

因みに、考案された当初は横縞の数は17本でした。

1830年に9本に変更されました。

 

ウルグアイ国旗の制定の経緯

ウルグアイはスペインによって植民地とされていました。

その後、スペイン独立戦争が起きます。

1810年、アルゼンチンのブエノスアイレスで五月革命が起きます。

1811年、五月革命に乗じてウルグアイでもスペインへの独立戦争がはじまります。

 

1815年、アルティガス将軍が東方州としてウルグアイを再編しました。

この時に掲げた旗がアルティガスの旗と言います。

青色はアルゼンチン国旗から、赤い斜め帯はウルグアイ川東岸の血を意味しています。

この旗はパトリア・ビエハとも呼ばれています。

これは古き故国、という意味を持ちます。

 

1816年、ブラジルからポルトガル軍がウルグアイへ進撃。

 

1820年、アルティガス将軍は敗北し、ウルグアイ全土が占領されてしまいました。

 

その後も散発的な抵抗は行っていましたが…

そうこうしているうちにブラジルに併合されてしまいました。

 

アルゼンチンでは東方州(ウルグアイ)を取り戻そう!

という声が高まって行きます。

 

1825年、アルティガス将軍の副官だったフアン・アントニオ・ラバジェハ将軍が33人の東方人を率いてウルグアイへ上陸。

再び独立戦争を開始しました。

この時に掲げていたのがこの旗です。

青と白はアルゼンチンの国旗から、赤は連邦派の象徴色からきています。

中央には自由か死か、という文言が記されています。

独立戦争の時に良く使われる感じの言葉ですね。

これは三十三人の東方人の旗、と呼ばれています。

なんというか…ものすごく恰好良いですねこのネーミングね。

 

尚、この旗と今のウルグアイ国旗とアルティガスの旗の3つを一緒に掲揚します。

また、国会にもこの3つの旗が掲揚されています。

これがウルグアイには3つ国旗がある、と言われている由縁です。

 

1828年、この戦争にイギリスが仲介に乗り出しました。

本来はアルゼンチンの東方州としてアルゼンチンに入る予定だったウルグアイでしたが…

イギリスはこれ以上アルゼンチンが強くなる事を良しとしませんでした。

結果として、ウルグアイ東方共和国として独立する事となるのです。

この時に今の国旗の原案がデザインされました。

国旗についてはここまでなのですが…

 

1830年7月11日、今の国旗が制定されます。

 

尚、独立後…

1831年、先住民のチャルーア人を襲撃。

これにより、民族集団であるチャルーア人は絶滅してしまいます。

 

1839年、これだけ恩義を感じていたアルゼンチンに宣戦布告をする事になります。

 

これはアルゼンチン、ブラジルによる内政干渉によるものと言われています。

 

20世紀に入り、スイスをモデルにした社会経済改革が行われます。

こうしてウルグアイは南米のスイスと呼ばれる福祉国家となっていくのです。

 

ウルグアイの意味

ウルグアイとはウルグアイ川に由来していると言われています。

ウルグアイ川は国土の西方を流れる川です。

インディオの言葉でウルは曲がりくねった、グアは川、という意味を持ちます。

ウル+グアで曲がりくねった川、というウルグア、ということですね。

ウルグアイ自体は全然曲がりくねっていないのですが…

 

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基礎情報(外務省HP)

国名:ウルグアイ東方共和国

独立:1828年8月25日

国旗制定:1830年7月11日

人口:343万人

面積:17.6万平方キロメートル(日本の約半分)

首都:モンテビデオ

民族:欧州系90%、欧州系と先住民の混血8%、アフリカ系2%

言語:スペイン語

宗教:キリスト教(カトリック)が大半

通貨:ペソ(アルゼンチンと共通)

時差:-12時間(日本の丁度真反対)

国歌:ウルグアイ国歌

 

まとめ

・カントンタイプの国旗で旗比率2:3

・太陽はアルゼンチンの5月の太陽から

・9本の青と白の2色旗

・青色は自由と正義

・白色は平和

・ウルグアイ国旗はアルティガス将軍がデザインした

・独立戦争を勝ったアメリカの星条旗の影響もある

・ウルグアイ国旗とされているものは他にも2つある

・33人の東方人の旗とパトリア・ビエハの旗がある

・アルゼンチンは南米のスイスと呼ばれてきた

 

以上です。

ウルグアイ国旗、どうでしたか?

3つの国旗がある、というのも珍しいですよね。

尚、アルゼンチンは国土の8割がパンパと呼ばれる草原で占められています。

更に、日本の丁度ほぼ正反対に位置しています。

個人的に面白かったのはアルゼンチンに敬意を表したデザインにしておいて宣戦布告したことですね。

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