カンボジア国旗の意味や由来

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制定されたのはつい最近のカンボジア国旗。

それには辛い歴史がありました。

でも国旗そのものは割と早く作られていたんですよ。

50年の時を越えて復活した訳とは!!

その途中何回国旗が変遷したのか!

一緒に見て行きましょう。

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目次

カンボジア国旗の意味

カンボジア国旗の由来

カンボジアの由来

カンボジアに侍が?

基礎情報(外務省HPより)

まとめ

カンボジア国旗の意味

カンボジア国旗は上下の青、中央の赤、白い建物で構成されています。

縦比率は2:3。

やや長方形よりといったところでしょうか。

2:3の比率は中央の建物を考慮してのことでしょう。

2:3よりも横に長いと横に長過ぎておさまりが悪くなりそうですからね。

青と赤のチョイスは古くから親しまれている伝統色です。

因みに青:赤:青で1:2:1で三分割されています。

青は空を示し、国王の無限の権威を表しています。

ここから解るようにカンボジアは王制なのですよ。

赤色は国民の国王に対する忠誠心を表しています。

赤も青も国王由来のものになっているのにお気づきになられましたか?

それだけ王制というのをアピールしたのでしょうか。

中央の白い建物はアンコール・ワットという有名な建物です。

アンコール・ワットはカンボジア北西部に位置する世界遺産です。

ヒンドゥー教の寺院として建築されました。

建築されたのは12世紀前半に、

アンコール王朝のスーリャバルマン2世によってです。

建築には30年以上の歳月がかけられた、と言われています。

そしてカンボジア国旗は長きにわたり何度も変更されるのですが…

ほとんどの国旗にアンコール・ワットの意匠は入っていたのです。

それだけ現地の方達に愛されている、と言えるという事でしょうか。

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カンボジア国旗の由来

幾つもの王朝が興亡を重ねていました。

1113年、スーリャバルマン2世が即位しました。

彼はカンボジアを統一し、更にはタイ中部、マレー半島、ベトナム南部まで支配しました。

当然アンコール・ワットも建設しました。

これは彼自身の墓でもあったのです。

1150年に彼が死ぬと王位争いが起きました。

1181年、ジャヤーバルマン7世が即位。

敵対勢力を降伏させた。

アンコール・トムを建造。

1283年、元がアンコール・トムに侵攻。

1431年、シャム(タイ)からの侵攻により首都アンコール陥落。

その後首都を転々とする。

1831年、タイがカンボジアへと侵攻(第一次泰越戦争)。

なんでカンボジアへ侵攻してきたのにタイベトナム戦争なのかというと、

タイはカンボジア北部へ侵攻した後、ベトナム南部へ侵攻したからです。

その後ベトナムの反撃を受ける前に撤退。

ベトナムはそのままカンボジア全土を掌握。

カンボジアいい迷惑ですねコレね…?

1841年、タイが再びカンボジア支配を狙って第二次泰越戦争が起きる。

タイとベトナムがカンボジアを共同支配する条約が締結される。

1853年、フランスとカンボジア王国との間に保護条約が締結される。

タイとベトナム、両国の圧力に悩んだカンボジア川からフランスに要請されました。

1863年、カンボジア国旗がこんな感じに制定されます。

カンボジア国旗1863-1948

割と今の国旗に似ていますね。

これはこれでアンコール・ワットを押し出したデザインで良い気がします。

1887年、カンボジアはフランス領インドシナへと編入される。

1945年、シハヌーク王は日本軍の明号作戦に呼応し、カンボジア独立を宣言。

1946年、フランスの保護下に戻り、独立は消滅。

しかし、この後もシハヌーク王は独立運動を継続した。

1948年、国旗変更

カンボジア国旗1948-1970

あれ?今の国旗と同じ意匠ですね?

そうなんです、今の国旗はこの時の国旗を復活させたものなんですよ。

1949年、フランス連合内での独立を獲得。

1953年、カンボジアは完全独立を果たす。

シハヌークはこの後首相となる。

1965年、シハヌークは北ベトナムへの空爆を行うアメリカと断交。

1970年、親米のロン・ノルがシハヌーク外遊中にクーデターを決行、

クメール共和国が樹立。

国旗が変更される。

カンボジア国旗1970-1975

新しい国旗はこれですね。

この3つの星は自由・正義・平等を表しています。

ロン・ノルはベトナム戦争をアメリカに有利に行わさせる為、

アメリカ軍と南ベトナム軍にカンボジアを進行させました。

更にはカンボジアを空爆までさせました。

何故このような事をしたのか?

それはカンボジアを経由する事で、北ベトナムが補給線を確保出来ていたからです。

とはいうものの、国民は怒りモードに入り…反政府運動が起きます。

まぁ流石に当然ですねウン…。

一方、シハヌークは中国でカンプチア民族統一戦線を結成。

ポル・ポト等が指揮する共産主義勢力クメール・ルージュと協力する事になりました。

彼等はロン・ノル政権と戦いを開始し、内戦が起きました。

1975年、クメール・ルージュがクメール共和国を倒す。

早速国旗が変更される。

カンボジア国旗1975-1979

赤地…完全に共産主義の色ですね。

そして中央に黄色のアンコール・ワット。

黄色も当然(?)共産主義国の国旗で良く使われる色です。

1976年、国名を民主カンプチアへと改称

その後貨幣制度の撤廃、都市住民の農村入植、強制労働、富裕層知識層の虐殺、

といった政策がとられました。

結局、飢餓・虐殺・マラリア等におり100万人を超える死者を出す事になります。

尚、シハヌークは幽閉に近い状態にあったようです。

1978年、ベトナム人民軍はカンプチア救国民族統一戦線を組織。

カンボジアへと侵攻した。

1979年、クメール・ルージュはタイの国境付近まで撤退。

シハヌークは北京へと脱出。

カンプチア人民共和国樹立。

ただしこれはベトナムの傀儡政権であった。

カンボジア国旗1979-1989

そして国旗も変わります…。

えーベトナムも共産主義なので…

アンコール・ワットの図案が変わっただけですねはい。

というか共産主義国家同士で喧嘩しすぎでは…?

1982年、ポル・ポト、シハヌークは北京で会談を開く。

そして民主カンプチア連合政府を開き、カンプチア人民共和国へ戦争を仕掛けます。

こうしてカンボジアは内戦状態になりました。

ベトナム軍は内戦に干渉していた為、

当初はカンプチア人民共和国有利に戦局は推移していました。

1988年、ベトナム首相ファム・フンが急死し政変が起きました。

ベトナム軍は撤収を開始。

カンプチア人民共和国が弱体化し、内戦は更に泥沼化することに。

1989年、国旗が変更される。

カンボジア国旗1989-1991

半分青になりましたね。

ソ連崩壊が1991年なので…

その二年前ということになります。

これは共産主義勢力の弱体化を意味しているのでしょうか。

1990年、東京でカンボジア内戦に関する和平会談が開催される。

1991年、カンボジア和平パリ協定が開催され、内戦終了。

1992年、カンボジア最高国民評議会が結成される。

国旗も変更される。

カンボジア国旗1992-1993

今度は青地にカンボジアの地図になりましたね…

アンコール・ワットが抜けたのが印象的ですね。

今迄は必ず入っていたのですが…

1993年、国民議会選挙が実施される。

立憲君主制が採択された。

シハヌークは国王に再即位しました。

そしてカンボジア王国が再建されました。

カンボジア国旗

そして独立王国時代の国旗が復活!

今尾国旗となったのです。

いやぁ…カンボジア大変でしたね本当…。

カンボジアの由来

紀元当初頃、カンボジア・タイ・ラオス・コーチチナ・マラヤ半島に渡って

存在していた連合国家「Founan」という国が存在しました。

この連合国家の中でも最大のものが中部メコンを占めた「カンブジャ」、

であり、「カンブチア」という現在の呼称はこれに基づいたものです。

で、その元々のカンプチアの由来について話します。

この国の建国伝説では、インドのバラモン僧カンプ―が建国したとあります。

そのカンプーとその子孫を意味する「チャ」を合わせてカンプチア、という名称になったとのことですよ。

カンボジアに侍が?

実はアンコール・ワットには江戸時代の武士が訪れていました。

1632年、森本右近太夫が「仏教のサトリを開くため…」と、いう落書きをしたそうです。

アンコール・ワットはヒンドゥー教の寺院ですが江戸時代の日本では

仏教の聖地である祇園精舎の跡地と考えられていたとの事。

何せ17世紀は朱印船貿易が盛んだったので、

なんとカンボジアには日本人町もあったとのこと。

更には森本以外の人も落書きをしていたというのだから…

どーゆーことなの…?

因みに森本右近太夫は加藤清正の重臣、森本義太夫の子です。

アンコール・ワットへ行った際には見てみましょう!

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基礎情報(外務省HPより)

国名:カンボジア王国

建国年:1953年

国旗制定:1993年

旗比率:2:3

面積:18.1平方キロメートル(日本の約2分の1)

人口:14.7百万人

首都:プノンペン

民族:人口の90%がカンボジア人とされる

言語:カンボジア語

宗教:仏教(一部はイスラム教)

通貨:リエル

時差:-2時間

国歌:ボット・ノーコー・リェッ(王国の詩)

まとめ

・青は空と国王の権威

・赤は国民の国王に対する忠誠心

・中央の建物はアンコール・ワット

・カンボジアは長い内戦を経て何度も国旗が変更された

・今の国旗は昔の国旗を復活させたもの

・カンボジアの由来はカンプ―の子供、から来ている

・江戸時代、カンボジアには日本人町があるくらいには日本人が訪れていた

以上です。

いやぁ…カンボジア大変でしたね。

植民地状態からの独立が割とすんなり行っただけに逆にその後の内戦が…

大変だったなと…(大事な事なので二度言いました)

同じ共産勢力同士で戦争し過ぎですねウン。

でもアンコール・ワットが大体常に国旗に入っていたのは、

とても印象的でした。

関連項目:カンボジア人の性格や恋愛観や文化について

次回予告:オーストリア国旗

割と洒落にならない国旗の由来を持つオーストリア国旗。

いや、でも良く考えるとこれくらい普通な気も…

因みにクロワッサン発祥の地、フランスじゃないって知ってましたか?

なんであんな形にしたんでしょうね?

という訳で次回はオーストリア国旗です!

こうご期待!

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