オーストリア国旗の意味や由来

<スポンサーリンク>

オーストリア国旗は古くからあったという伝承があります。

しかし3つほど説があるのです。

どの説が正しいのか、一緒に考察してみませんか?

正解はあなたも考えてみて下さいね。

クロワッサンは実はオーストリアで生まれたパンだった話もしますよ。

<スポンサーリンク>

目次

オーストリア国旗の意味

オーストリア国旗の由来

オーストリア国旗…正式版

オーストリアの由来

オーストリアが由来?クロワッサン

基礎情報(外務省HPより)

まとめ

 

オーストリア国旗の意味

オーストリア国旗は上下の赤、中央に白、というシンプルな意匠です。

旗比率は2:3。

やや長方形、といったところでしょうか。

さて、一つ問題がここに生じます。

それは何か?

そう…実はオーストリア国旗のこの赤と白…

特に意味が付与されていないのか…色々な資料当たっても…

書いてないのですよ…色の意味、が…(沈痛な面持ち)

いやまぁ何故このデザインになったのか?

等についてはあるのでそこらへんはちゃんと解説するつもりなのですが…

いかんせん、この赤白でどういう意味が付与されているのか?は謎のままです。

 

まぁ折角なので欧州での赤白についての定義から適当に著者が考えておきます。

 

白はキリスト教、誠実さ、純潔、という意味が割り当てられることが多いです。

赤は闘争や自由独立、あたりが割り振られる事が多いです。

 

どうでしたか?

え?お前の独自解釈なんて要らない?そ、そんなぁ…

じゃあこのデザインについて話しましょう。

 

何故このような配色・デザインになったのか…ですが…

諸説あります。

またかって顔しましたね?

解りますよ私だってね…1個でバシッと決めたいですよ。

でもしょうがないでしょ!!!!!

 

まずオーストリア国旗が世界最古の国旗の1つでは?

と言われている理由になっているのがこちら…

 

レオポルド五世血塗れ事件説!

 

そう、それは1191年の事…第三次十字軍での事です。

第三次十字軍といえば神聖ローマ帝国皇帝フリードリヒ一世、

イングランド王獅子心王リチャード一世

フランス王フィリップ二世。

とまぁ当時の西欧の国王が揃い踏みした事で有名な十字軍です。

ここに参加していたのはドイツ人を率いるオーストリア公レオポルト五世。

 

彼等がエルサレム北方、ハイファ郊外のアッコンで戦ったアッコンの戦い。

レオポルド五世はこの戦いの最中、敵のイスラム教徒の返り血で、

全身が真っ赤に染まり、ベルト部分を白く残して後は赤くなってしまいました。

そしてこの赤く染まった軍服を旗代わりに使ったという伝承に基づいて

国旗をデザインしたとの事。

 

因みにアッコンを陥落した後、レオポルド五世は他の3人の王と自分を、

同列に扱うよう要請、しかしリチャード一世は拒否。

これに怒ったレオポルド五世は帰国しました…

 

そして聖地エルサレム奪還なら無かったリチャード一世は

母国であるイングランドへ帰る途上…

レオポルド五世はリチャード一世がドイツを通った時、捕まえて監禁してしまいます。

執念深かったのですね…(笑)

 

おかげでロビン・フッドがリチャード一世の帰還を信じて戦っていたのに…

間に合わなかったじゃないですか!!(意味不明)

 

そして二番目の説。

1230年、オーストリアバーベンベルク家(レオポルド五世もこの家の方です)最後の大公であられるフリードリヒ二世(喧嘩公)…

喧嘩公って凄い二つ名ですね?

まぁ周辺諸国に侵攻しまくったからだそうですが…

で、このフリードリヒ二世が神聖ローマ帝国フリードリヒ二世(同じ名前だよ…)

に対して反乱を企てた時に使用した軍旗が最初、という説です。

 

そして三番目の説として、レオポルド五世の母親の実家由来という説。

 

以上、三つの説を紹介しましたが…

どれでしょうね。

さっぱり解りません!(おい)

正直最初の説は国旗に箔をつけるための創作では?

という気がするのですよね。

 

そうなると2番目の説が正解だけど、1番目の説を創作する事で…

余りこう慕われてないフリードリヒ二世由来というのを恰好良くした。

 

という流れはどうでしょうか…?

 

 

<スポンサーリンク>

オーストリア国旗の由来

 

ローマ帝国の属州となった後ローマ帝国崩壊後の、

976年にオーストリア辺境伯領となりました。

 

1191年、レオポルト五世が十字軍に従軍。

アッコンの戦いにて国旗の故事があった?

 

1230年、フリードリヒ二世(喧嘩公)が神聖ローマ帝国皇帝フリードリヒ二世に、

反乱を企て、用意した軍旗が最初という説。

 

1278年、喧嘩公は敗死。

 

その後ハプスブルク家がオーストリア大公を称するようになる。

ハプスブルク家は支配地域をどんどん拡大していき、

オスマン帝国と戦火を交えることとなる。

 

1740年、オーストリア継承戦争。

フランスの画策で起きた戦争であったが、オーストリアは

女子のマリア・テレジアにハプスブルク家領を継がせる為に失った権威や領土を回復。

フランスは見事に墓穴を掘ることとなった。

ただしシュレージエンのみはプロイセンへと奪われた。

 

1756年、七年戦争。

シュレージエンの地を奪還しようとオーストリアがプロイセンへと挑む。

が…オーストリアはプロイセンに敗れる。

 

1804年、オーストリア帝国を宣言。

 

1866年、普墺戦争開始

敗北したオーストリアはドイツ連邦から撤退、ドイツ本土へ関与できなくなる。

 

1867年、オーストリア帝国とハンガリー帝国が合併。

 

1914年、第一次世界大戦勃発

オーストリア=ハンガリーがセルビアに宣戦布告した事で、

第一次世界大戦が起きた。

 

1918年、オーストリア=ハンガリー帝国が降伏。

直後に革命が起きてドイツ=オーストリア共和国へとなる。

これが今のオーストリア共和国の走りです。

 

1919年、ハンガリー、チェコスロバキアが独立。

ドイツとの連邦も禁じられオーストリア共和国へと改名。

 

1921年、民間旗として現在の国旗が採用される。

 

1938年、ドイツと統合される。

 

1945年、ウィーン陥落。

ドイツのように分断統治の危機に晒されたが分断は避けられた。

 

1955年、オーストリア国際条約が締結され完全な独立を取り戻す。

 

1984年、国旗制定。

今に至ります。

オーストリア国旗正式版

 

オーストリア国旗…正式版

 

オーストリア国旗は実は正式な国旗の場合、国章が入ります。

国章は黒鷲ですね。

政府用の旗等はこちらを使用しています。

オーストリア国章

この黒鷲の紋章について解説しておきます。

 

基本的に国章が入る方が恰好良い国旗が多い気はするんですけど…

中央に同じ意匠の盾が入っていなければなぁ…(筆者の個人的感想)

そうすればめちゃ恰好良かった気が…

 

そしてこの掲げた盾の中の白い線の中にも国章があり、

その国章の中央には盾があり…(以下略)

 

で、この国章はハプスブルク家の紋章です。

ハプスブルク家の紋章は双頭の鷲ですが、ハプスブルク家が崩壊してからは

単頭となりました。

頭上の冠は自治都市、足?に握られた鎌とハンマーは農民と労働者を表しています?

ん?共産主義っぽいですね?

でも冠あるしな…

※共産主義は王冠とか冠みたいな意匠を基本嫌う傾向があると個人的には思ってます

 

また、断ち切られた鎖はナチス・ドイツからの解放を意味しています。

 

国章有りと無し、どちらの方が好きですか?

 

オーストリアの由来

オーストリアはドイツ語ではエスターライヒ、と言います。

これは東の国という意味です。

まぁドイツの東にありますからね。

なんか安易な気もしますがそこは気にしてはいけない。

で、このエスターライヒは古語ではオストマルク、と言いました。

これは東の国、という意味です。

このオストマルクからオーストリア、となったとのことですよ。

 

オーストリアが由来?クロワッサン

 

クロワッサンどうですか?

皆さん好きですか?

僕は割と好きなんですが、あーでもそもそも僕は米派なんですけどね。

日本人ならお米食べないとね!!

で、そのクロワッサン、フランス語で三日月、という意味なんですよ。

日本語で言うと三日月パン。みたいな。

で、このパン実はウィーンのパン屋さんが考案したんですよ。・

1683年、第二次ウィーン包囲戦が行われました。

ウィーンが陥落してもこのパンだけは気に入られるようにトルコの国旗である

三日月をモチーフにしたパンを作ったそうな…(笑)

なんなんだこのパン屋…トルコのご機嫌取りで作ったのかよぉ!!

しかも第二次ウィーン包囲戦…トルコ負けてますからね。

ウィーン陥落しませんでした(笑)

で、それから1世紀の月日が流れ…

マリー・アントワネットはフランスに持ち帰り、広まったとのこと。

いやぁ、世の中面白いですねぇ

 

<スポンサーリンク>

基礎情報(外務省HPより)

国名:オーストリア共和国

建国:1955年

国旗制定:1984年

面積:約8.4平方キロメートル(北海道とほぼ同じ)

人口:約860万人

首都:ウィーン

民族:主としてゲルマン民族

言語:ドイツ語

宗教:カトリック約63%、プロテスタント約4%、イスラム約7%

通貨:ユーロ

時差:-8時間

国歌:山岳の国、大河の国

 

まとめ

・国旗の由来には幾つか説がある

・レオポルド五世がイスラム教徒(サラセン人)の返り血で染まった軍服を旗代わりにした説

・フリードリヒ二世が反乱を企てた際に用意したのが最初説

・レオポルド五世の母親の実家由来説

・国旗は最初は民間旗として使用されていた

・正式な国旗には国章が入る

・国章はハプスブルク家の紋章由来

・オーストリアはオストマルク「東の辺境」から来ている

・クロワッサンはトルコにびびったウィーンのパン屋さんが作った(笑)

 

以上です。

かつてはヨーロッパでも有数の大帝国だったオーストリア…

今では北海道と同じ大きさとは…

栄枯盛衰とはこの事か…ヨヨヨ…

って思ってしまいますね。

さて、それはそれとして民間旗と官用旗、どちらが恰好良いと思います?

筆者的には官用旗ですね!

ただ同じ紋章の盾を抱えているのはなー…皆さん気になりません?

僕は気になるのですよ…

 

次回予告:チリ国旗

星条旗をモデルにしたチリ国旗!!

果たしてどんな由来・意味・経緯をもつのか!

星条旗とどの程度違うのか!

こうご期待!

<スポンサーリンク>

SNSでもご購読できます。

カテゴリー

コメントを残す

*