ペルー国旗は2つあるのです。
と言ってもどーゆーこと?となると思いますが…
実際割と2パターン、3パターンの国旗を持つ国というのは多いです。
どういう事なのか解説していきますね。
後、ペルーの新年の迎え方、真似してみると良い新年が迎えられるかもしれませんよ?
今年の年末、年越しの際にお試しあれ。
目次
ペルー国旗の意味
ペルー国旗の由来
二つのペルー国旗
ペルーの由来
ペルーの新年を迎える際の心構え
基礎情報
まとめ
ペルー国旗の意味
ペルー国旗は左右に赤、中央に白を配置した縦二色旗です。
筋は三本ですが色は二色ですので三色旗といいたくなるところですが二色旗です!
ならない?
筆者だけ?そうかな…そうなの?
で、この赤は戦いと勇気、白は平和と尊厳を表しています。
因みにこの赤白の二色旗はあの鳥をモチーフにしているらしいですよ。
それはフラミンゴ!
フラミンゴは赤い翼に白い胸を持つ鳥でえ、幸運の象徴と言われています。
1820年、南米解放運動指導者のホセ・デ・サンマルチンがリマ南方のビスコ湾に上陸した時に、フラミンゴの群れを見て「今から生じる国は解放者の色として赤と白を使うだろう」と、いうことで対角線で二分した赤白の旗を考案したとのことです。
これがペルー国旗の原案になったとの事ですが…
敢えて言おう。
色意外全然似て無くないか!と!!!!!!!!
言っちゃった…。
後、フラミンゴって赤というよりピンクなイメージなんですよね(何故かいちゃもんつけはじめるやつ)
と思って調べたら赤かったりピンクだったりなんか色々ですね…すみません…
後、この赤白はマレー系民族の伝統色…ではなくインカ帝国の伝統色とも言われています。
ヨーロッパにおいては赤白を使った国旗も割とありますし…
赤白というのは人の感受性において良い色合いなのかもしれませんね。
肌の色は人種共通ではありませんが、血の色は全人類共通なので赤は恐らく人体の中でも最もなじみ深い色の一つですし。
白もまた空を見上げれば雲は白く、樹を切れば白いし、雪が降る処ならば雪も白い、河原の石もまた白いというのでなじみ深い色ですし。
そうでなければ昔から世界各地で使われている偶然性の説明が…
まぁ白より緑の方が溢れているじゃんと思わないでもないですがそこはそれ、緑は溢れすぎていて逆に特殊性が低いという感じもですね…
ではペルー国旗成立の過程を見てみましょう。
ペルー国旗の由来
ペルーはご存知(?)インカ帝国が栄えておりました。
16世紀、ご存知(?)フランシスコ・ピサロが現れます。
ピサロはインカ帝国を侵略し、インカ帝国皇帝アタワルパを絞首刑にしてしまいます。
1572年にはスペインから逃げていた最後のインカ帝国皇帝が捕らえられ、処刑されてしまい、こうしてインカ帝国は滅亡したのです。
スペインの植民地とかしたペルーでは、先住民が過酷な労役を課せられ、インカ帝国時代、最高1600万人いた先住民の数が100万人まで減ったとの事です。
1821年、ナポレオン戦争でのスペイン本国の混乱に乗じて独立戦争が起きる。
ホセ・デ・サン・マルチンの指導の元で独立宣言を行う。
しかし、スペインはまだ抵抗を継続。
1824年、コロンビア共和国の解放軍を率いたアントニオ・ホセ・デ・スクレにより抵抗を続けていたスペイン勢力が撃破される。
ペルー、事実上の独立を果たす。
1825年、ペルーの国旗が縦三色旗に変更される。
現在のペルー国旗のデザインになり国旗が制定される。
国旗についてはここまでですが、この後ペルーはインカ帝国だったころの領土を回復しようとボリビアやコロンビアに戦争を仕掛けます。
が、その野望は皮肉にもペルー解放の為に助けに来たアントニオ・ホセ・デ・スクレに二回とも打ち破られます。
アントニオ・ホセ・デ・スクレ強いですね。
かなりの名将だったようです。
1836年、逆にボリビアによってペルーは完全征服され、南北で分断されてしまいます。
南ペルー共和国と北ペルー共和国に分けられてしまうのです。
1839年、亡命ペルー人がチリやアルゼンチンの助けを得てボリビアを破りペルーを奪還。
この後も何度かペルーは周辺国と戦いますが、とりあえずペルー共和国はこのような形で成立し、国旗も制定された訳です。
これが北ペルー共和国国旗と南ペルー共和国国旗です。
北の方の国旗は今のペルー共和国の国旗そのままですね。
え?中央の意匠無いでしょ?
良い処に気付きますね。
それについては次の章で触れますね。
二つのペルー国旗
皆さんはペルー国旗と言われてどんな旗を想像しますか?
実はペルー国旗は2つあるんです。
と、いうか、国旗には幾つかの種類がある事が稀にあります。
ペルー国旗に関して言うと、特にそれが混ざっていて混乱しているのでは?と思われます。
下に挙げた国旗を視て下さい。
これは北ペルー共和国国旗じゃんと思うかもしれませんが実は今、ペルー国旗の1つなのです。
真ん中に図案が入ってない国旗は民間用、この真ん中に図案が入っているのは官用です。
1825年~1950年まで、今は官用として使われている国旗が(恐らく)民間用として使われていた為、資料によってはこの国旗をペルー共和国国旗として紹介している処もあるようです。
ただ、著者は外務省HPに掲載されているペルー共和国の国旗が、現在民間用、とされている国旗(図案の無い方)の方になっていたので、そちらをペルー国旗として採用しております。
ペルー国旗ってどっちが正しいの?という話がもし出たら(多分)両方正しいんやで。
と教えて挙げて下さい。
さて、折角なのでこの官用の国旗の方も解説して行きたいと思います。
違う処は中央の紋章。
これはペルーの国章です。
厳密には小紋章ですがまぁ国章です!
国旗+国章の組み合わせも結構多いですよね。
小さいと思うので拡大します。
まず一番上は月桂樹の冠です。
これは勝利と栄光の象徴です。
左側にあるのはヤシの枝です。
右側にあるのは月桂樹の葉です。
左上の動物はペルーを代表する動物のリャマ…ではなくビクーニャとのことで、ペルーの生態系を表しています。筆者は寡聞にしてビクーニャを知らなかったのでWiki先生に教えを請いました。ビクーニャはアルパカ、リャマ、グアナコと近縁の哺乳類のようです。気性は荒く、家畜化は難しいようです。また、乱獲されてしまいかなり数が減っている模様…。
右上の木はペルーの国花であるキナの木が描かれており、植物の象徴です。
下にある一見黄金のワニに視えるものは豊穣の角からあふれ出す金貨です。
これは鉱物と繁栄の象徴です。
という事です。
よろしいでしょうか?
個人的には国章が入っている方が賑やかですし、似たような他の国旗との差別化にもなるので良いのではないかなーと思うんですが…。
ペルーの由来
ペルーの由来は幾つか説があります。
2つほど紹介すると…パナマの南にビルーという豊な国があると聞いたスペイン人がビルーをペルーと呼んだという説や、ピルという川の河口で先住民に迎えられた、という説があります。
複数説があるようですが、最初に紹介した説が一応有力…とのことですよ。
ペルーの新年を迎える際の心構え
新年を迎える時は縁起良く迎えたいものですよね。
日本なら七福神の絵を枕の下に敷いて寝るとか?
ペルーでの縁起良く新年を迎える時の工夫には新品の黄色い下着や服を身に着けて年を越す、というものがあります。
因みに赤い下着をつけて年越しすると素敵な恋人が見つかるらしいです。
新年が近くづくと黄色い服や下着が大量に売られている…ちょっと日本では想像付きませんが…
まぁ日本でも黄色は縁起の良い色と言われる事が多いですし、楽しそうですね!!
今年の年越しは黄色い下着をつけてみても良いかもしれませんね!(売ってるのかな…赤ならまだしも黄色…)
基礎情報
国名:ペルー共和国(秘露)
独立:1821年7月28日
制定:1825年2月25日
旗比率:2:3
面積:129万平方キロメートル(日本の約3.4倍)
人口:約3115万人
首都:リマ
民族:先住民45%、混血37%、欧州系15、その他3%
言語:スペイン語
宗教:国民の大多数はカトリック教徒
時差:-14時間
国歌:ペルー国歌
まとめ
・赤は戦いと勇気
・白は平和と尊厳
・赤白はフラミンゴ由来ともインカ帝国の伝統色とも言われる
・ペルーの国旗は民間用と公用で国章の有無がある
・公用に使われている国章は簡易版
・ペルーの由来には諸説あるがビルーをペルーとなまった説が有力
・年越しに黄色い下着や服が縁起が良いらしい
如何でしたか?
ペルーも他の南米諸国の例にもれず植民地化されていました。
そして激しい独立戦争の末、独立を勝ち取りました。
だが!!その後なんで周辺諸国と戦争してんですかね!!(笑)
しかも独立戦争助けてくれた国相手に!!
ちょっと意味不明でしょう!?
まぁ良いです。
えーとそう、国旗ですね。
民用旗では国章が省かれますが、公式の場では国章がついていると思います。
なので国章が有る旗と無い旗、どちらも目にする機会があるでしょう。
ただ、外務省HPには民用旗の方が記載されていますが…
オリンピック等では多分官用旗の方を使うのではないでしょうか?
ペルー国旗を目にする機会があったらウンチクかたるチャンスと心得よう!!
関連項目:ペルー人の性格や文化
次回予告:ベネズエラ国旗
8つの星を持つ国旗、ベネズエラ。
同じ南米繋がりで行きますよ!
そして娘の15歳の誕生日に贈られる事のある驚くべき誕生日プレゼントとは…
ベネズエラには〇〇がいっぱいって事ですか…?
ペルー国旗の動物さんはビクーニャです!^^
情報ありがとうございます!!
本当に助かります!