イエメン国旗は汎アラブ色を使った横三色旗です。
しかし、つい最近まで南北に分かれていました。
北イエメンと南イエメンのそれぞれの旗も見つつ
イエメンの国旗について見て行きたいと思います。
すんなり南北イエメンは統合したんですけどね…
その後がよろしく無かった…
もくじ
イエメン国旗の意味
イエメン国旗の制定の経緯
イエメンの由来
基礎情報(外務省HP)
まとめ
イエメン国旗の意味
イエメン国旗は横三色旗、旗比率は2:3です。
2:3は色々な横三色旗で採用されている旗比率です。
特段おかしなことはありませんね。
オランダやハンガリーといった横三色旗も2:3ですからね。
イエメン国旗の色は上から赤・白・黒となっております。
赤色は独立への情熱を表しています。
白色は平和と輝ける未来を表しています。
黒色は過去の植民地支配を表しています。
これらからイエメン国旗は革命や植民地支配から解放された
後の希望ある未来や勝利を象徴している国旗と言えるでしょう。
また、赤・白・黒の配色は汎アラブ色の配色でもあります。
現在のイエメン国旗は1990年に制定されたものです。
この国旗はイエメン・アラブ共和国(北イエメン)
とイエメン民主人民共和国(南イエメン)
が統合した時に、採用されました。
尚、デザイン決定の経緯に関しては筆者の巣像ですが…
両方の国旗が汎アラブ色を用いた国旗だったので
意匠を取り除いて汎アラブ色のみの横三色旗にした、
というのが実際の処だったのではないかというのが
筆者の想像です。
そうすれば角も立ち難いですよね。
イエメンはアラビア半島の南端に位置しており
紅海とインド洋を臨む土地です。
この土地は紀元前10世紀頃、シバの女王の元で栄えた
という伝説を持っています。
シバの女王は旧約聖書に出てくる女王で、エルサレムの
ソロモン王にわざわざ会いに行ったという逸話があります。
ただしシバの女王が統治していたのはイエメン説と
エチオピア説があるのでそこはご容赦下さい。
こういった逸話から、昔からイエメンは幸福のアラビア
と呼ばれていました。
イエメン国旗の制定の経緯
イエメンは前述したとおり、北と南に別れていました。
とりあえずそこら辺の経緯を軽く説明して行きたいと思います。
太古…豊かな土地として栄える
7世紀頃…イスラム教が流入する
その後16世紀にオスマン帝国に一時的に支配されますが
イエメン人は抵抗を行いオスマン勢力を追い出したりします。
19世紀にはいり、エジプトの勢力下に置かれます。
1839年、イギリスが南イエメンを占領し、植民地にする。
1849年、オスマン帝国が北イエメンを再び占領
1869年、イギリスは南イエメンをアデン保護領と呼称
旗も制定。
…。
まぁイギリスの植民地って感じの旗ですねハイ。
1918年、第一次世界大戦でオスマン帝国が衰退し、北イエメンが独立
以後、イエメン王国と名乗る。
当初のイエメン王国の国旗はこれです。
1923年、イエメン王国の国旗が変更される。
何て書いてあるのかって?
…。
多分…イスラム教徒のシャハーダだと思います。
シャハーダの書かれている他の国旗を見ても
同じ文字に見えますし。
サウジアラビア王国の国旗とかアフガニスタンの国旗に
載っているやつですね。
「アッラーの他に神はなく、ムハンマドはアッラーの使徒である」
って信仰告白の聖句です。
1927年、イエメン王国はふたたび国旗変更。
1962年、イエメン王国が軍事クーデターにより崩壊。
イエメン・アラブ共和国が成立。
国旗が変わる。
北イエメンはそのまま内戦へと入ってしまいます。
1963年、南イエメンのアデン保護領が南アラビア保護領へと改称される。
旗も1962年から上記のものへと変更されます。
1967年、イギリス領である南アラビア保護領が、
南イエメン人民共和国として独立。
後にイエメン人民民主共和国へと改称します。
国旗がこのように変更されます。
この国旗は民族解放戦線の組織旗が元になっています。
赤は革命、白は平和、黒は侵略者を排除する、という意味です。
淡いブルーは人民、赤い一つ星は民族解放戦線を表しています。
人民の中で輝く希望の一番星って事ですかね…。
1990年、北イエメンと南イエメンが1989年のアデン合意に基づき
合併。
現在のイエメン共和国が成立しました。
国旗も今のものが制定されます。
その後もたびたびクーデターが起き、政情が安定している、
とは中々言い切れません…。
基本的に南側の勢力がクーデターを起こしているようです。
旧北イエメンを優遇する政策を実施している、というのが理由のようですね。
現在(2018年)も内戦状態が続いているようです。
折角南北統合されたのに全然意味が無かったようですね…
イエメンの由来
イエメンの由来には幾つかありまして…
1つはアラビア語で右を意味するヤミン
から来ている言われています。
では何の右なのか?そこが問題です。
イエメンはアラビア半島の南部に位置する為、
朝日が昇る東に向かって南側…
つまり朝日を正面にすると右手側(南側)がイエメンの
方角になります。
朝日に向かって右側にある国、つまりイエメン。
もしくはイスラム教の聖都メッカのカーバ神殿に向かうと
右手がイエメンの方角になるので、という説。
また、イエメンそのものが右という意味では無く
アラビア半島の大部分が砂漠にも関わらず
肥沃な大地を有するイエメンを肥沃という意味の
ユムン、にもじった。
という説もあります。
著者的には…解りません!
ヤミンもユミンもヤとユしか違わないですよね。
ヤはア行、ユはウ行です。
しかし…当然の事なんですけどイエメンはイ行なんですよね。
なので解りかねます…!!!
基礎情報(外務省HP)
国名:イエメン共和国
建国:1990年
国旗制定:1990年
旗比率:2:3
面積:55.5万平方キロメートル(日本の約1.5倍弱)
人口:約2747万人
首都:サヌア
民族:主としてアラブ人
言語:アラビア語
宗教:イスラム教
通貨:イエメン・リアル
国歌:連合共和国
時差:-6時間
まとめ
・イエメン国旗の赤は独立への情熱
・イエメン国旗の白は平和と輝ける未来
・イエメン国旗の黒は過去の植民地支配
・イエメン国旗は汎アラブ色で構成されている
・イエメン国旗は北イエメンと南イエメンが統合した際制定された
・イエメンは北はオスマン帝国に、南はイギリスによって分割統治されていた
・イエメンの由来は諸説あるが右を意味するヤミンという説がある
・イエメンの由来は肥沃を意味するユミンから、という説もある
・イエメンは依然として内戦状態の模様
以上です。
イエメン国旗は汎アラブ色国旗!!
といった感じの国旗でしたね。
しかし他の国でも良くある事ですが…
片方を優遇する政策どうにかならないものなんでしょうかね。
折角統合したのに意味無いのではと思います。
というか統合しない方がましだったのでは?とすら思ってしまいますね。
国旗に込められた意味や願いが早く成就する事を祈っております…。
それではまた次の記事でお会いしましょう。