ナイジェリア国旗の意味や由来

<スポンサーリンク>

サッカーで目にする事も増えたナイジェリア。

そのナイジェリアの国旗は一見シンプルですが実は割と奥深い意味があります。

問題は国旗に託された想いが国家運営にあんまり反映されていないこと、でしょう。

また、ナイジェリア国旗が国旗の色指定をする事で、国旗に色指定をする事が広まった。という話もあります。

ここでナイジェリア国旗を知ることでナイジェリアについてもっと詳しくなりましょう!

 

もくじ

ナイジェリア国旗の意味

ナイジェリア国旗の制定の由来

ビアフラ共和国の国旗

ナイジェリアの意味

ナイジェリアの基礎情報(外務省HPより)

まとめ

<スポンサーリンク>

ナイジェリア国旗の意味

アフリカでも最大の人口を有するナイジェリア。

世界的にも人口の多さでは七位という多くの人が居住する国です。

そんなナイジェリアの国旗の意味について視て行きましょう。

 

ナイジェリア国旗の配色

ナイジェリア国旗は緑色と白色の二色で構成されています。

緑、白、緑と縦に三等分にされているのがナイジェリア国旗です。

旗比率は1:2。

意匠を配していない国旗としては基本的な旗比率ですね。

 

ナイジェリア国旗の特徴的な点というと色指定です。

実は、国旗の色と言うのは色指定が無いものも多く…

とりあえず赤色!

みたいな感じで指定されている国旗も少なくありません。

しかし、ナイジェリア国旗は色を指定しています。

ナイジェリア国旗で使われている緑色は…

英国色彩評議会指定のCC104-CC105(BF2660)

と定められています。

 

因みに、ナイジェリア国旗が色指定をしたのがきっかけとなり…

他国の国旗も色指定をするのが広まった、とも言われています。

 

ナイジェリア国旗の色の意味

ナイジェリア国旗の緑色は豊かな森林資源と農地を象徴してします。

 

ナイジェリア国旗の白色は平和と統一を象徴しています。

 

また、三分割はナイジェリアの三大部族を表していると言われています。

 

北部のハウサ族

西部のヨルバ族

東部のイボ族

 

の三大部族です。

ナイジェリアは元々多民族国家で、その数なんと500とも言われています。

文化の違いも当然多岐にわたっています。

公用語は英語ですが、使用されている言語も500を超えるとか…

 

宗教は南部のキリスト教、北部のイスラム教、そして土着宗教信仰で分かれています。

 

ナイジェリアは人口規模も経済規模もアフリカ随一です。

しかし、このような経緯により政情が中々安定していないのです。

 

ナイジェリア国旗デザイン決定について

ナイジェリア国旗のデザインは公募で行われました。

1959年に行われた国旗デザイン・コンテストが行われたのです。

 

この国旗をデザインしたのは当時英国に留学中だった学生。

ミカエル・タイウォ・アキンクンミ氏によるものです。

 

彼は飛行機から見下ろした国土と森林に着想を得たと言われています。

まさに飛行機に乗って留学した留学生らしい着想のきっかけと言えますよね。

 

<スポンサーリンク>

ナイジェリア国旗の制定の由来

ナイジェリアは元々住んでいた人達により長い事繁栄していました。

ナイジェリア北部はアフリカ北部とキャラバン交易を行いました。

結果として物資や文化の伝播があったのです。

その為、ナイジェリア北部はイスラム教が伝わっているのです。

 

逆に南部は熱帯雨林等により交流が余りされていませんでした。

 

そんな中、西欧がアフリカに訪れ始めます。

 

1472年、ポルトガル人がラゴスを建設。

ここを奴隷貿易の拠点としました。

この時からナイジェリアの植民地化が始まります。

 

この後、イギリス人を主体とする奴隷商人たちがナイジェリア沿岸部に多くの港を建設。

ナイジェリア沿岸部は奴隷海岸と呼ばれる事となるのです。

 

19世紀に入り、イギリス軍は奴隷貿易を禁止。

代わりに商品貿易を行います。

そしてナイジェリアの植民地化を更に進めていくのです。

19世紀末にはヨルバ人(国旗の三大部族の一つ)のオヨ王国やフラニジンのソコト帝国も滅ぼされました。

 

1901年には北部ナイジェリア保護領と南部ナイジェリア保護領とされました。

 

1914年にはナイジェリア植民地として南北保護領は統合されます。

 

保護領ってのはまぁ…色々な形態がありますが…

ここでは単純に植民地、と扱って貰えればいいのではないかと思います。

 

その後、独立運動が行われますが…

第二次大戦後のナショナリズムの高まりで運動が活発になり…

 

1954年、自治領へとなります。

 

1959年、国旗デザインコンテスト

 

1960年10月1日、西カメルーン北部を編入してナイジェリアとして独立。

同日、国旗制定。

北部・西部・東部の三地域連邦制国家になります。

 

1963年には西部州から中西部州を分離して全部で四地域になります。

議会では人口の多い北部州が優位でした。

その為、東部との対立が深まり、政情は不安定になっていくのです。

 

国旗制定がされたのでここで終わりでも良いのです、が…

ビアフラ共和国について述べたいのでもう少しだけ続けます。

 

1966年1月、イボ族によりクーデターが起きる。

イボ族のイロンシ将軍が大統領に就任。

しかし、同年7月ヤコブ・ゴウォンがクーデターを起こします。

イロンシ大統領は暗殺されます。

ゴウォン大統領は連邦政府の中央集権化を進めます。

 

1967年、ゴウォン大統領に反発した東部州は反乱を起こします。

東部州はイボ族を中心としてビアフラ共和国を設立。

ナイジェリアは内戦に突入します。

 

1970年、イボ族が敗北し、ビアフラ共和国は滅亡。

 

1975年、再びクーデターが行われムハンマドが大統領になります。

翌年、ムハンマドは暗殺されます。

 

 

この後も短期間でクーデターが何度も起きます。

折角独立したのに今度は内戦にあけくれるという…

まぁ稀によくあるパターンですね…。

 

尚、石油資源が豊富な為、ナイジェリアの経済規模は大きいです。

しかし、政府の汚職などの酷さから、国民の生活に還元されていないのが実情です。

何せ150億ドルの石油収入のうち100億ドルが使途不明で消えているとのこと…。

 

ビアフラ共和国の国旗

1967年に、ナイジェリア東部州がビアフラ共和国として分離独立を宣言しました。

この時に掲げられた旗がこちらです。

マーカス・ガービーが考案した赤・黒・緑の旗です。

 

色の意味は解りません!

だって調べても無いんだもの!

 

まぁ完全に著者の想像ですが…

 

赤色は独立闘争の為に流された血

黒色は北部による支配の歴史もしくは黒人の肌の色、勝利

緑色は森林資源

 

あたりをイメージしているのではないかと思います。

 

ここからは著者の想像ではありません。

日の出は東部州の州章であり、11本の光線は行政府の数となっています。

 

ナイジェリアの意味

ナイジェリアという国名はニジェール川から採られています。

ニジェールというのはトゥアレグ族の言葉から来ています。

これはトゥアレグ族の言葉で「大河」を意味しています。

トゥアレグ族は北アフリカの広い地域に暮らしている遊牧民です。

 

<スポンサーリンク>

ナイジェリアの基礎情報(外務省HPより)

国名:ナイジェリア連邦共和国(尼日利亜)

独立:1960年10月1日

国旗制定:1960年10月1日

旗比率:1:2

面積:923775平方キロメートル(日本の約2.5倍)

人口:1億8599万人

首都:アブジャ

民族:ハウサ、ヨルバ、イボ

言語:英語、各民族語

宗教:イスラム教、キリスト教、伝統宗教

通貨:ナイラ

国歌:立て同胞、ナイジェリアの呼び出しに従って

時差:-8時間

 

まとめ

・ナイジェリア国旗は緑と白で構成される

・緑色は豊かな森林資源と農地

・白色は平和と統一

・縦三等分はハウサ族、ヨルバ族、イボ族を現す

・色指定がされている

・ナイジェリア国旗は公募で選ばれた

・イギリスから独立した後は内部での紛争が続いている

 

独立したいならさせて挙げれば良いじゃない。

と、まぁ外から見ている分には思うんですが…

 

これ、スペインでも同じ事が起きているんです。

どういう事情なのかと言いますと…

こういう時って大体パターンが決まっているんですよ。

 

独立したい側は大抵経済的に進んでいる州が多い。

独立させたくない側は人が多かったり政治の中枢にある。

 

まぁつまり豊かな勢力からお金を貰っている側が独立させたくないんですね。

で、豊かな側が多数派の場合はそもそも独立しよう、という動きにはならないと思います。

 

問題が起きるのは豊かな側が少数派の場合。

多数派が数の力で政治の実権を握り、豊かな側からのお金を自分達優先で使う場合です。

こうなるとまぁ…普通は豊かな側が不満を持ちますよね。

 

そこらへんのケアがちゃんとされないとスペインやナイジェリアみたいな事になる、ということです。

 

以前に比べると最近は安定してきているようですが…

早く政情がちゃんと安定すると良いんですけどね。

<スポンサーリンク>

SNSでもご購読できます。

カテゴリー

コメントを残す

*