イラク国旗の意味や由来

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イラク国旗の意味についてやっていきます。

イラク国旗は赤・白・黒・緑で構成される横三色旗です。

汎アラブ色と呼ばれる色の組み合わせのイラク国旗について学びましょう。

また、中央の文字は元々は元フセイン大統領が描いたものでした。

他にもイラク国旗制定までの経緯、うやむやになった新国旗の解説等も行っております。

もくじ

イラク国旗の意味

イラク国旗の制定の経緯

イラク国旗が新国旗に?

イラクの由来

イラクの基礎情報(外務省HP)

まとめ

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イラク国旗の意味

イラク国旗の基本的な構成

イラク国旗は横三色旗です。

色は上から赤色、白色、黒色で構成されています。

この三色は汎アラブ色と呼ばれる組み合わせです。

 

中央にはアラビア文字で聖句が描かれてます。

 

旗比率は2:3で、中央に意匠の入った国旗の旗比率としては良くあります。

 

右側が旗竿側となります。

 

イラク国旗の意味

まずはイラク国旗の各色について解説していきます。

 

赤色は勇気を意味しています。

白色は寛大さを意味しています。

黒色はイスラムの勝利を意味しています。

文字に使われている緑色はイスラムの伝統色です。

 

この三色の配列でアラブは一つ、を強調しています。

 

中央の聖句はフセイン元大統領による手書き文字が元になっています。

手書き文字をコンピューター処理したものです。

これはクーフィー体と呼ばれる書式で描かれています。

 

聖句の文言は

「アッラー・アクバル」

神は偉大なり、という意味を持っているのです。

 

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イラク国旗の制定の経緯

イラクは古代メソポタミア文明の興った地です。

その後、ペルシア、ギリシャ、イスラム帝国、モンゴル帝国、オスマン帝国と支配者を変えて行きました。

 

1914年、第一次世界大戦が勃発

第一次世界大戦の結果、イギリスがイラクの国土の多くを得る事に。

 

1921年、イギリス委任統治領メソポタミアが成立。

ファイサル・イブン=フサインを国王にして王政を敷かせました。

イラクという国は、この1921年から始まったと考えると良いかもしれません。

その時に制定された国旗がこちらです。

黒、白、緑の横三色旗に赤色の台形が追加されています。

基本的な配色は現在のイラク国旗と同じものですね。

色の意味も恐らく変わらないと思います。

白い星の七陵星が2個ありますが、これの意味について解説しておきます。

七陵星が2個で14の突起…

これによりイラクの14の州を表していると言われています。

 

1932年、イラク王国として独立を果たす。

 

1958年、エジプトとシリアがアラブ連合共和国を形成。

それに対抗してイラク王国はヨルダンとアラブ連邦を樹立。

アラブ連邦の旗はこちらとなります。

連邦になることでイラクの州の数を表していた七陵星が外されました。

 

同年7月14日、自由将校団のクーデターによりイラク王国が崩壊。

イラク共和国となります。

1959年には国旗が変更されました。

カーシム政権の旗は縦三色旗に変更されています。

中央の太陽の意匠は少数民族に配慮したものとなっていました。

黄色い太陽がクルド人を、赤色の星はアッシリア人を意味しています・

 

1963年、クーデターが起こりカーシム政権崩壊。

パアス党が政権を握る。

クーデターで樹立した政権はクーデターで倒される…という事ですかね。

 

国旗も変更されました。

横三色旗に変更され、配色も汎アラブ色になっています。

中央の3つの緑の星は政治的な理由で配置されました。

当時、エジプトとシリアがアラブ連合共和国を形成していたのですが…

その時のアラブ連合共和国の旗は同じ配色の横三色旗に緑の星が2つ入っていました。

2つの星でエジプトとシリアを意味しているわけですね。

これにあわせて3つの星の国旗を制定する事で俺(イラク)も連合共和国に混ぜてよ!

というアピールをした訳です。

が…エジプトが勝手に親アメリカ外交をしたことで怒ったシリアはアラブ連合から既に離脱していました。

よって、イラクがアラブ連合に参加する事は無かったのです…。

 

折角国旗のデザインでアピールしたのに可哀想な話ですね。

しかし、このアラブ連合時代の名残により…

エジプト・シリア・イラクの三国は汎アラブ色を基調とした横三色旗の国旗となるのです。

結局足並みはそろわなかったけど以後の国旗は似た、という皮肉な話になってしまいました。

 

1974年、第二次クルド・イラク戦争が起きます。

この戦いでイラク国軍を率いたフセインが実権を握る事となりました。

 

1979年、フセイン大統領誕生

 

1991年、湾岸戦争が起こる。

この時、国民の結束力を高める為に国旗を修正します。

フセイン大統領の手書きによる聖句を加えました。

これはアラビア文字のルクア体です。

また、3つの星は

エジプト・シリア・イラクという意味から

統一・自由・社会主義

という意味になりました。

これはフセインの所属するパアス党のモットーです。

 

2003年、フセイン政権崩壊

国旗の変更が戻され、意匠が三つ星のみに戻る。

 

2004年、新国旗が提案されるが不評で使われなかった。

しかし、一応は承認はされたとの事。

代替旗としてルクア体をクーフィー体にした国旗を使用。

 

今の国旗に3つの星を加えたらこの国旗になりますね。

 

2008年、国旗から3つの星が外され今の国旗となる。

 

イラク国旗が新国旗に?

2004年4月、公募によって選ばれた新イラク国旗。

実は議会で承認され、正式に撤回されていません。

なので、国旗としての正当性はまだ残ったままなのです。

新国旗の意味と、何故不評だったのかについて少し語ります。

白地は平和を意味しています。

三日月はイスラム教を象徴しているとのことです。

青い2本の線でチグリス川とユーフラテス川を現します。

黄色はクルド人を現しています。

 

パッと見そこまで問題がある国旗には見えませんが…

何が不評だったのでしょうか?

 

まず、汎アラブ色が使われていません。

更に、青色はイラクで嫌われているイスラエル国旗に使われています。

 

しかも、この国旗のデザイナーは暫定統治評議会メンバーの弟でした。

身内贔屓だ!!

という抗議が巻き起こったのです。

 

という経緯により、この新国旗は陽の目を見る事なく消えてしまいました…

が、一応正式に撤回されていないみたいなんですよね。

まぁ使われる事は無いとは思いますが…

 

イラクの由来

イラク、とは低地を意味しています。

チグリス川とユーフラテス川にはさまれているこの地域はかつてはアラビア低地、と呼ばれていました。

そこからイラク、と名付けられた説が一つ。

 

もう1つの説が古代メソポタミア文明の都市であるウルクが由来という説。

ギルガメッシュ叙事詩でギルガメッシュ王が統治した都市ですね。

という説もあります。

 

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イラクの基礎情報(外務省HP)

国名:イラク共和国(位拉久)

独立:1932年10月3日

国旗制定:2004年6月28日

旗比率:2:3

面積:43.83万平方キロメートル(日本の約1.2倍)

人口:3720万人

首都:バグダッド

民族:アラブ人、クルド人、トルクメン人、アッシリア人

言語:アラビア語、クルド語

宗教:イスラム教、キリスト教他

通貨:新イラク・ディナール

国歌:我が祖国

時差:-6時間

 

まとめ

・イラク国旗は汎アラブ色で構成された横三色旗

・赤色は勇気

・白色は寛大さ

・黒色はイスラムの勝利

・緑色はイスラム教

・中央の文字は聖句

・中央の文字はアラビア文字のクーフィー体で神は偉大なりと記述されている

・フセイン政権が倒れた際、新国旗が採択されたがうやむやに

・イラクの由来には諸説ある

・イラク低地から取られた説と古代都市ウルクから取られた説

 

以上です。

結局の処、イラク国旗は法律上では何が正式なものとなっているのでしょうか…

やはり月の色を緑色にしなかったのがいけなかったんでしょうかね…?

何しろイラクにはイスラム教の聖都バグダッドがありますからね。

我々の想像を越えてイラクではイスラム教が意識されている可能性は十分にありえます。

エジプト・シリア・イラク国旗が何故似ているのか?

というのは雑学としても役に立つのではないかと思います。

因みに、クウェートもやや似ています。

クウェートはイラクの一部だったのですが、1960年に独立してしまいました。

イラクは当然阻止しようとしたのですがイギリスが独立を支援し、独立国家となりました。

その為か(?)、クウェートも国旗が似ています。

 

中央の文字がフセイン元大統領の手書きだった、というのも面白い話ですよね。

どこかで披露してみて下さい。

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