東ティモール国旗の意味や由来

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東ティモールは本当につい最近独立した国です。

その独立までの苦難を国旗のデザインに取り入れており、

国旗を理解すれば東ティモールの歴史も理解出来るという

一大歴史絵巻!!は言い過ぎですがそんな感じです。

果たしてどのような歴史を辿って東ティモールは今のように

なっていったのか…一緒に見て行きましょう。

 

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もくじ

東ティモール国旗の意味

東ティモール国旗の制定までの経緯

東ティモールの国名の由来

基礎情報(外務省HPより)

まとめ

 

東ティモール国旗の意味

東ティモールの国旗は黒色、黄色、赤色、白色

の4色で構成されています。

 

旗比率は1:2です。

中央に意匠の入っていない国旗の比率としては

よくあるパターンの国旗です。

 

それでは各色について解説していきます。

赤色は独立運動の闘争で流された民衆の血や苦難

黄色は植民地支配の傷跡と独立への闘争

黒色は暗黒の植民地時代と乗り越えなくてはならない反啓蒙主義

白色は平和

星は未来への希望を示す光

をそれぞれ表しています。

旗竿側から順に黒(白)、黄、赤、と並んでいるのは

植民地時代(独立への希望)、独立闘争、犠牲の末の勝利

といった東ティモールの歴史を暗示しているのでしょうね。

 

タペストリーみたいなイメージでしょうか。

独立までの経緯を込めた国旗というのも

中々見当たらないのでこれはこれで

東ティモールの国旗について知っていると

良い感じに解説できて良いですね。

 

これを呼んだ人は是非機会を見つけて

解説して挙げて下さい。

例えば何処かで国旗を見た時にその国旗の解説をして

その後「そういえば東ティモールの国旗知ってる?」

と言いつつこのタペストリー的なデザインの解説を

してみるというのはどうでしょうか?

ついでにこのサイトの宣伝もよろしくお願いします

 

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東ティモール国旗の制定までの経緯

東ティモールは島国です。

オーストラリアから北に位置しています。

ティモール島の東半分、アタウロ島、ジャコ島、

オエクシで構成されています。

ティモール島の西半分はインドネシア領となっています。

 

16世紀、ポルトガルによって植民地化されます。

しかし、この植民地化は現在の東ティモール共和国の

首都ディリと当初の首都である

リファウの近辺に留まっていました。

 

1767年、ティモール島の残りの部分や周囲の島を

植民地にしていたオランダが侵攻してきました。

この侵攻で首都をリファウからディリへと

ポルトガルは移しました。

恰好つけて言うと遷都!!ってやつですかね?

 

1859年、リスボン条約が締結されます。

これによってオランダとポルトガルの支配区域の境界線が

正式に決定される事となります。

この時に決定された境界線が今のインドネシアと

東ティモールの国境線となっております。

中東と言い、東ティモールと言い、植民地化による

傷跡というか影響は本当に今でも残っていますね…

そりゃ国旗にも色として採用される訳です。

まぁ、あの時代は人権とかそういう思想は無かったので

あーだこーだというのも野暮ってものですが…。

 

20世紀、ポルトガルは本国の経済状態の悪化により

植民地から更に富を搾取するようになりました。

元々東ティモールのポルトガルの支配は苛烈だったと

言われているのにそれが更に、という訳です。

 

1911年には余りも厳しい植民地支配に対して

反乱が起きます。

 

第二次大戦に入ると、日本軍に利用される事を恐れた

オランダとオーストラリアに占領されました。

中立の立場だったポルトガルは抗議をしますが

まぁ当然スルーされます。

そのまま東ティモールに居た大日本航空の職員を

拘束してしまいます。

日本はポルトガル政府の認可を得て

邦人救出の為にティモールへと上陸します。

その後、現地人のポルトガルへの反抗が活発になり

治安維持要請を受けた日本軍はそのままティモールに

駐屯する事となりました。

 

で、ここらへんの記述が日本軍を悪者にしたい人と

持ち上げたい人で結構食い違うので著者からは

何とも言えません。

第二次大戦終了後、日本軍は速やかにティモール島から

撤退を行いました。

ティモール島占拠についてポルトガルから賠償請求は

行われていない、という史実を鑑みるにティモール島への

侵攻と占有はきちんと話を通していたのではないかと

思われます。

 

日本軍がティモール島を占有している間の所業については

それこそ著者には判別がつかないので何とも言えません。

 

日本軍が島民を虐待したり略奪したり殺したりした!

という人も居れば

インフラが全く何も整備されていない酷い状態で

島民も大変貧しい状態であり、島民に課されていた

人頭税を廃止し、成人に貸していた使役も廃止した。

という話もあります。

 

まぁ虐待云々に関して言えば苛烈な植民地支配が

そもそもなされていたらしいので、

もし実際に虐待云々をしていたとして…

ポルトガルやオランダと何が違うんだろうなぁ…

何故日本だけそこまで悪者に?

って思わないでもないですけどね。

 

因みに、イギリス軍やアメリカ軍やオーストラリア軍による

海上封鎖により食糧不足となって多くのティモール人が

命を落としたのは事実のようです。

 

話を戻すと、戦後再びポルトガルの植民地へと戻りました。

 

1949年に西ティモールはインドネシアの一部として

独立を果たしましたが…

依然として東ティモールはポルトガルの植民地のままでした。

 

1974年、ポルトガルで起きたカーネーション革命に

触発され、東ティモールも独立運動がおこりました。

1975年には東ティモール民主共和国として独立宣言を

行います。

この時に今の国旗が制定されました。

この国旗は東ティモール独立革命戦線の旗です。

 

しかし、インドネシアはティモール島全土の領有権を

主張しており、この動きは容認できませんでした。

インドネシアは西ティモールから侵攻を行いました。

その後もインドネシアのスハルト政権は

東ティモールへの侵攻を行い

占領後から1980年代までに命を落とした人の数は

20万人近くにのぼると言われています。

当然国連はこの侵攻・占領を認めませんでした、が…

日本やヨーロッパ、アメリカといった西側諸国は

反共産主義を掲げるインドネシアとの関係を重視し、

明確な行動を起こしませんでした。

 

1998年、インドネシアのスハルト政権が崩壊。

ハビビ大統領が就任。

東ティモールの特別自治権の付与を問う住民投票

の実施を行う事を提案。

 

1999年、独立に関する住民投票が行われる。

投票の結果、東ティモールの独立が決定。

しかし独立反対派がインドネシア国軍と結託して

東ティモール住民を襲撃、町を破壊しました。

治安維持の為に多国籍軍が派遣されます。

2002年まで国際連合東ティモール暫定行政機構、

が東ティモールの統治を行う事となります。

1999年から2002年までの間に採用されていた国旗は

東ティモール民族抵抗評議会の旗でした。

紹介したいのですが図案が無い…

上から青、白、緑の横三色旗で、旗竿側の青と白の部分に

黒い背景に赤い盾、赤い盾の中に交叉した剣、

交叉した剣の中央を貫く槍、槍の穂先付近に

交叉した矢、穂先の頂点に輝く黄色い五陵星。

 

というとても恰好良いデザインの旗です。

こっちで良かったのではないか(笑)

 

2002年になりやっと完全に独立を果たしました。

この時に国旗が復活。

今に至ります。

尚、東ティモール独立革命戦線の旗を復活させるか

東ティモール民族評議会の旗を継続して使うかで

ひともんちゃくあったそうです。

 

東ティモールの国名の由来

そのままティモールの東部、という意味との事です。

正式名称はポルトガル語では「Timor-Leste」であり、

Timorはティモール、Lesteは東を意味しています。

 

またテトゥン語ではティモール・ロロサエと言います。

テトゥン語では「ロロサエ」は日の出、を意味しています。

ロロは太陽、サエは出る、という意味となっております。

何処となく日本と似ている感じですね。

 

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基礎情報(外務省HPより)

国名:東ティモール民主共和国

独立:2002年

国旗制定:1975年

旗比率:1:2

面積:14900平方キロメートル(東京、千葉、埼玉、神奈川の合計とほぼ同じ面積)

人口:約118.3万人

首都:ディリ

民族:テトゥン族など大半がメラネシア系。

その他マレー系、中華系、ポルトガル系等。

言語:テトゥン語及びポルトガル語

公用語としてはインドネシア語や英語。

部族語もしようされている。

宗教:キリスト教99.1%(大半がカトリック)

イスラム教0.79%

通貨:米ドル

国歌:祖国

時差:-1時間

 

まとめ

・東ティモール国旗の旗比率は1:2

・赤色は独立運動の闘争で流された民衆の血や苦難

・黄色は植民地支配の傷跡と独立への闘争

・黒色は暗黒の植民地時代と乗り越えなくてはならない反啓蒙主義

・白色は平和

・星は未来への希望を示す光

・東ティモール国旗の色の並びは独立への苦難の歴史を表している…と思う

・東ティモールの独立はつい最近

・独立宣言そのものは1975年にされていた

 

という訳で東ティモールでした。

本当に最近に完全独立したんですね。

しかも日本から僅か時差1時間。

とても近い。

余り馴染みが無いイメージの東ティモールですが実はとても近かったです。

中々政情が安定しないようですが、早く落ち着く事を祈ります…。

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