ボスニア国旗の意味や由来

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ボスニア国旗はぱっと見、実にお洒落なデザインをしています。

斜めに配置された星、黄色の逆三角形と、他ではあまり見られないデザインと言えるでしょう。

この独特なデザインにはどのような意味や由来があるのか…

また、連邦国家であるボスニアには連邦を構成する国が更に国旗を持っていたりします。

旗だらけじゃないの!!

となってしまいますが…そうですね、旗だらけです(笑)

更に今の国旗より前、独立当時に制定された国旗もあったりします。

ここではそれぞれの国旗の意味や由来について解説しています。

是非見て下さい。

 

目次

ボスニア国旗の意味や由来

旧ボスニア国旗の意味

ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦の旗

ボスニア国旗の制定の経緯

ボスニアの由来

基礎情報(外務省HPより)

まとめ

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ボスニア国旗の意味や由来

1998年2月4日に制定されたボスニアの国旗は旗比率が1:2。

良くあるタイプの旗比率です。

 

ボスニア国旗の意匠は青地に8個(?)の星と黄色の逆三角形で表されています。

何故8個(?)となっているのかと言いますと…

ボスニア国旗の上部と下部で星が切れていますよね。

この切れている星を1つとみなすとボスニア国旗に記されている星の数は8個です。

という訳(?)で8個(?)とここでは書きました。

?だらけですみません…

 

青地と星はEUの旗を模しています。

これは、ボスニア・ヘルツェゴビナがEUへの加盟を大きな目標としているからです。

さて、このボスニア国旗の星の数が8個の理由は何なのでしょう?

実は…

解りません…

 

ボスニアの州の数かとも思ったのですが、調べた限りでは10州あるようです。

国旗の制定日は1998年2月4日なので、この国旗制定当時の州の数が8なのかな?

とも思ったのですがどうやらそれも違うようです。

 

黄色の逆三角形はボスニアの国土の形の図案化です。

また、それだけではなくモスレム人・セルビア人・クロアチア人の3民族の融和・共存をも意味しています。

 

黄色は希望を表していると言われています。

 

旧ボスニア国旗の意味

旧ユーゴスラビアが解体された当初に制定されたボスニア国旗は今とは異なるデザインでした。

白地に青い盾、そしてボスニア・ユリを盾に配置したデザインとなっていました。

この白地は平和と純潔を表しています。

また、6つの金色の百合はボスニアの特産です。

 

折角制定したこの国旗でしたが…

国内のセルビア人、クロアチア人から支持を得られませんでした。

これ、設立の経緯を見ると支持されなくて当然なんですよね。

ボスニャク人が中心として強引に独立したからですね。

 

結果として、1998年に新しい国旗が制定されることとなるのです。

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ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦の旗

ボスニア・ヘルツェゴビナは幾つかの国家の連合体です。

なので、ボスニア・ヘルツェゴビナを構成する国にも国旗が存在します。

そのうちの一つであるボスニア・ヘルツェゴビナ連邦の国旗を紹介します。

 

この国旗は1997年に制定され、2007年まで用いられました。

国旗の白色と緑色はモスレム人を表しています。

赤色と白色はクロアチア人を表します。

 

白色が被っていますね…

 

盾の左上にあるのはステファン一世由来の白百合紋章です。

ステファン一世は1376年にボスニア王となった人です。

 

盾の右上の赤白チェックはクロアチア人の伝統模様です。

 

盾の下段にある10の星はEU旗のデザインを模したものであり…

10という数は連邦を構成する10地域を意味しています。

こっちの星の数はちゃんと州の数に合わせているという不思議さ加減…

 

あれ?セルビア人についての意匠が無いじゃん?

とお思いのあなた、そう、良い観察眼だと思います。

実は、ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦にセルビア人はほぼいないため、セルビア人に関しての意匠はありません。

セルビア人はスルプスカ共和国という国を造っています。

こちらがその国旗です。

こちらにはセルビア人の意味しかないとの事です。

 

ボスニア国旗の制定の経緯

ボスニアというと民族紛争を思い浮かべる人も多いかもしれません。

実際、連邦国家となっているのもその結果です。

 

ボスニアはオスマン帝国の支配下にあり、急速にトルコ化していきました。

その後、オスマン帝国が衰退すると、オーストリアがボスニアを併合することとなります。

 

これが第一次世界大戦の一因にもなりました。

 

第二次世界大戦がはじまると、ボスニア・ヘルツェゴビナの大部分はクロアチア独立国の支配下に入りました。

このクロアチア独立国はナチス・ドイツの傀儡国家であり、クロアチア人が支配者層となっていたのです。

この時、クロアチア人はセルビア人を激しく迫害し、多数のセルビア人が殺害されました。

 

これに対抗したセルビア人によって多数のクロアチア人やボスニャク人が殺害されました。

 

第二次世界大戦が終わるとユーゴスラビア連邦人民共和国が成立します。

この時、ユーゴスラビア連邦人民共和国の構成国家の一つとしてボスニア・ヘルツェゴビナ人民共和国が誕生しました。

この共産主義時代に多民族の融和が進み、民族間の緊張も少なかったとの事です。

 

1990年、共産主義独裁が放棄されました。

すると、それぞれの民族を代表する政党が議会の大半を占めるようになります。

 

翌年の1991年にはマケドニア共和国、スロベニア、クロアチアが独立を宣言しました。

クロアチアではクロアチア紛争が始まります。

 

1992年3月3日には、ボスニア・ヘルツェゴビナも独立しました。

この独立はボスニャク人による強引なものであり、セルビア人は反対していました。

この時に制定された国旗が白地に青盾の国旗です。

 

結果として、セルビア人はスルプスカ共和国を設立し、ボスニア・ヘルツェゴビナから分離してしまいます。

 

クロアチア人もまた、ヘルツェグ=ボスナ・クロアチア人民共和国を設立しました。

 

こうして3民族による三国間での内戦が勃発。

まさに三国志状態という訳です。

 

1994年にはクロアチア人とボスニャク人は停戦しました。

1995年にはセルビアも和解しました。

1国家2政府という国家連合となったのです。

 

1998年には今の国旗が作成されます。

この国旗は長野冬季オリンピックで国際社会に初披露されました。

 

ボスニアの由来

ボスニアはボスナ川(Bosna)の英訳と言われています。

ボスナ川は清い、という意味を持ちます。

ヘルツェゴビナは15世紀に統一された国家が「Herzog」と呼ばれたことに由来しています。

Herzogとは公爵領と呼ばれていました。

二つ合わせて清い公爵領、という意味になりますね。

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基礎情報(外務省HPより)

国名:ボスニア・ヘルツェゴビナ

独立:1992年3月3日

国旗制定:1998年2月4日

旗比率:1:2

面積:5.1万平方キロメートル

人口:351.1万人

首都:サラエボ

言語:ボスニア語、セルビア語、クロアチア語

宗教:イスラム教、セルビア正教、カトリック

通貨:マルク

国歌:ボスニア・ヘルツェゴビナ国歌

時差:-8時間

 

まとめ

・ボスニア国旗の青地に星はEU旗にならったもの

・ボスニア国旗の逆黄色三角形は国土と三民族の融和・共存を表している

・ボスニア国旗の黄色は希望を表す

・ボスニア国旗の旗比率は1:2

・ボスニアは連合国家である

・ボスニアの由来はBosna川(清い)とHerzog(公爵領)から

 

以上です。

ユーゴスラビア解体で色々大変だったんですね…

ボスニア・ヘルツェゴビナ以外の国も大変でしたしね。

マケドニアは国旗や国の名称に文句つけられますし…

EUへの加盟はまだはたせていないようですが、無事に加盟できると良いですね。

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