アゼルバイジャン国旗の意味や由来

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青赤緑の横三色旗のアゼルバイジャン国旗。

この配色、実は評判が余り良くないのです。

なんで良くないのか?

アゼルバイジャン国旗の意味や由来について解説していきます。

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もくじ

アゼルバイジャン国旗の意味

アゼルバイジャン国旗の制定までの経緯

アゼルバイジャンの意味

基礎情報(外務省HPより)

まとめ

 

アゼルバイジャン国旗の意味

アゼルバイジャン共和国の国旗は

青・赤・緑の横三色旗です。

中央には三日月と八陵星。

旗比率は1:2。

中央に意匠がある旗で1:2の旗比率は結構珍しいと思うのですが

意匠がそもそも余り大きく無いというのもこの1:2の旗比率に関係している

のかもしれませんね。

中央に意匠が入っている旗は大体2:3とかが多いのです。

その方がバランスがよくなるからでしょうね。

 

さて、この三色の配色に関してですが…

青色はトルコ民族の伝統色でもあり、またカスピ海と空も意味しています。

赤色は近代化への決意とトルコ国旗から取りました。

緑色はイスラム教の色でもありまたカフカス山脈の森林といった自然を表しています。

 

この青・赤・緑の三色の配列は

「トルコをお手本としてイスラム教に改宗し、近代化を推し進めていく」

というアゼルバイジャン共和国の標語を意味していますが三原色全部を

取り入れた配色はヨーロッパ紋章学的見地から見ると

色の組み合わせの原則から外れているため、専門家からは

評判が余り良くないとの事です。

 

次に中央の三日月と八陵星です。

三日月は当然(?)イスラム教国家であることを表しています。

八陵星は国内に居住しているトルコ諸語系の八つの部族である

アゼルバイジャン・オスマン・チャガタイ・タタール・カザフ・キプチャク・セルジュク・トルクメン

も表すと言われています。

 

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アゼルバイジャン国旗の制定までの経緯

カスピ海の西側に位置するアゼルバイジャンは

古代においてゾロアスター教が盛んな地でした。

 

11世紀頃からはオグズ・トルコ系の遊牧民族が

進出してくることでイスラム教が浸透してきます。

イルハン朝が支配していましたが、

1353年にイルハン朝が倒れた後

アゼルバイジャンを統括する政治的勢力は現れませんでした。

それから時は流れ…

 

17世紀にアゼルバイジャンにサファヴィー朝が起こります。

サファヴィー朝はイスラム教国でした。

この時に多くの人がイスラム教に改宗し、アゼルバイジャン人と

呼ばれる民族が形成されていくことになります。

 

1804年、第一次ロシア・ペルシア戦争が始まります。

この戦争の結果、アゼルバイジャンの大部分がロシア帝国に

編入されてしまいました。

 

1826年、第二次ロシア・ペルシア戦争の結果

アゼルバイジャンの更なる土地がロシア帝国へと

割譲されてしまいます。

 

1918年、ロシアで起きた十月革命のどさくさに紛れて

アゼルバイジャン民主共和国として独立します。

この時にアゼルバイジャン国旗が作成されいました。

文献によっては1917年10月にアゼルバイジャン共和国国旗が

制定されたとありますが…ちょっと解りませんね。

ロシア革命はユリウス暦では1917年10月

(現在使われているグレゴリウス暦では1917年11月)

なのでそこで勘違いしているのかもしれませんが…

ちょっと解りかねます…。

1918年から1919年まで使用されたのがこの旗です。

1919年から1920年まで使われたのがこちらです。

今の国旗と同じですね。

 

こうして建国されたアゼルバイジャン民主共和国。

しかしイギリス軍によって占領され、そこにソビエトが

侵攻してきて更に占拠され返されました。

そのままソビエト政権となってしまいます。

そして国旗はこちらに変更となります。

 

1922年、ザカフカース社会主義連邦ソビエト共和国の

一員となります。

ザカフカース(略)はアゼルバイジャン・アルメニア・グルジア

の三国で構成された連邦国です。

で、旗がこうなります。

1930年から1937年まではこんな感じの旗です。

ソビエト連邦の一員って感じですねハイ。

というか旗変更しすぎじゃないですかね?

 

1936年、ザカフカース(略)は廃止され、

アゼルバイジャン・ソビエト社会主義共和国となりました。

結果として旗も変更となり下記のようになります。

1937年から1940年まではこの旗…

つか3年!?みじかっ!?

そして…

1940年から1952年まではこの旗…

なんと12年も続きました!!(笑)

しかしまた変更が…

そして最終的にはこの形の旗が

1952年から1990年まで続く事となるのです。

やっと落ち着きましたね(笑)

そして…

1989年、共和国主権宣言を行います。

 

1991年、アゼルバイジャン共和国へと国名変更。

共和国独立宣言を行います。

長い時を経て国旗も復活しました。

折角なので載せておきましょうね。

 

アゼルバイジャンの国名の意味や由来

アゼルバイジャンという名前は何処から来たのでしょう?

幾つか説がありまして、国を構成する民族がトルコ系の

アゼルバイジャン人だからという説。

アゼルバイジャンというのは紀元前328年頃にこの地を支配していた

アトロパテネ人(火の守護者という意味)に由来しているとの事です。・

 

他にはアケメネス朝ペルシャの総督であったアトロパテスからという説。

また、ペルシャ語で火を意味する「Azar」から来た説。

と諸説あります。

ゾロアスター教徒が多かったことから火を意味するAzarを

著者的には推したい処ですね。

ゾロアスター教は拝火教と言われるように

火を崇める宗教ですので…。

 

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基礎情報(外務省HPより)

国名:アゼルバイジャン共和国

独立:1991年

制定:1991年(旗比率1:2)

面積:8万6600平方キロメートル

人口:990万人

首都:バクー

民族:アゼルバイジャン系(91.6%)、レスギン系(2.0%)、ロシア系(1.3%)、アルメニア系(1.3%)、タリシュ系(0.3%)

言語:アゼルバイジャン語

宗教:イスラム教シーア派

通貨:マナト

国歌:アゼルバイジャン共和国国歌

 

まとめ

・青はトルコ系民族の伝統色であるカスピ海と空の色

・赤はトルコ旗と近代化

・緑はイスラム教とカフカス山脈の森林といった自然

・三日月はイスラム教

・八陵星は国内の居住するトルコ系八部族を表す

・アゼルバイジャン国旗は1920年頃に作成された

・ソビエト連邦に所属している間は違う国旗だった

・アゼルバイジャンの旗はころころ変更されていて忙しかった

・独立して70年ぶりに以前の国旗が復活した

・アゼルバイジャンの国名の由来には諸説ある

 

現在、アゼルバイジャンはかつて世界最大と言われた

バクー油田に見られるように、エネルギー資源の国でした。

他には天然ガスなども産出しています。

 

現在では外国からの投資が活発化して第二のペルシャ湾と呼ばれています。

 

そんなアゼルバイジャンの国旗でしたが、どうでしたか?

なんかめっちゃころころ変更していて大変だなコレ…

ってなりました。

 

そして70年ぶりに復活させた国旗も色の組み合わせが悪いとボロカス(笑)

まぁぱっと見なんとなくこう…ん?

っていう違和感を感じはするんですけどね。

 

皆さんは違和感、感じましたか?

この国旗、今度は長い事続くと良いですね…

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