ブルネイ国旗の意味や由来

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実はとても豊かな国でもあるブルネイ。

そんなブルネイ国旗、見たことありますか?

余り見慣れないかもしれませんね。

 

黄色の下地に白色と黒色の平行四辺形が。

そして中央に配置された謎の意匠。

これ実はブルネイの国章だったのです。

 

ここではブルネイ国旗の意味や由来を説明しつつ…

ブルネイ国旗の変遷についても解説していきます。

 

もくじ

ブルネイ国旗の意味

ブルネイ国旗の制定までの経緯

ブルネイの意味

ブルネイの基礎情報(外務省HP)

まとめ

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ブルネイ国旗の意味

ブルネイとは

ブルネイはボルネオ島の北部、三方をマレーシアに囲まれている小国です。

沿岸部の一部を除き、ほとんどが熱帯雨林で構成されています。

 

統治は国王が首相を兼ねる絶対君主制です。

 

余り日本では聞きなれないかもしれないブルネイですが…

実は大変な資源国でもあります。

輸出の100%近くが原油と天然ガスです。

ブルネイから輸出される液化天然ガスの8割は日本むけのものです。

 

その為、1人当たりのGDPはとても高いものとなっています。

国民は所得税が免除、教育費も医療費もゼロ。

 

そんなブルネイの国旗についてふれていきましょう。

 

ブルネイ国旗のデザイン

ブルネイ国旗は黄色の下地。

そこに斜めに白色と黒色の斜線(平行四辺形)が入ります。

そして中央にブルネイの国章が配置されています。

旗比率は1:2。

中央に意匠が入っている国旗としては横に長いです。

これはちょっと珍しい旗比率と言えるでしょう。

結構長方形になってきます。

 

国旗の色について

黄色はスルタンを称える色です。

国王を象徴しているとも言われています。

また、黄色はマレー人にとって縁起の良い色です。

伝統的に、東南アジアでは黄色は王室で良く使われてきた色でした。

 

スルタンとはイスラム教国において国王の意味を持つくらいに思って下さい。

 

白帯はスルタンを補佐する大臣を意味します。

黒帯は地方補佐官を意味しています。

 

白帯が首相、黒帯が大臣、という文献もあるのですが…

国王が首相も兼任しているので最初の方がしっくりきますよね。

なので個人的には最初に挙げた方を推したいと思います。

 

中央の国章について

ブルネイ国旗の中央に配置されている意匠はブルネイの国章です。

これですね。

国章を形成しているパーツは…

 

中央にあるのは日傘と旗と翼。

その下にあるのが三日月。

三日月の下に台座。

両側に手。

 

がそれぞれ配置されています。

それではそれぞれの意味を見て行きたいと思います。

 

日傘と旗はスルタンの権威を現しています。

 

翼は片翼四枚からなっており、正義・平穏・安定・平和を現しています。

え?二枚の翼にしか見えない?

…。

まぁそうなっているんですよ…

考えるな!感じるんだ!!

 

三日月は当然(?)イスラム教を象徴しています。

三日月と台座に書かれているのはアラビア文字です。

三日月には「神の加護につねに奉仕せよ」

というブルネイのモットーが記されています。

 

三日月の下の台座には

「ブルネイ・ダルサラーム」

と記されています。

これは平和の国ブルネイ、という意味です。

 

両側の手は国家の繁栄のシンボルとされています。

 

パッと見不思議な国章ですが…

こうして細かく見て行くと良く解りますね。

 

ブルネイ国旗は国王とイスラム教に対する意味づけの強い国旗である。

と、言えるのではないでしょうか。

 

国王とイスラム教関係が基本メインですからね…

日傘と旗が国王を象徴しているというのは…

何なんでしょうね?

国民が日向で労働していても国王は日傘の下でのんびりしているとか?

これだとあんまりイメージ良くないですね…

 

まぁ素直に考えると日傘と旗はレガリアなんでしょうね。

レガリアというのは権威を象徴するものです。

西洋では王冠・王笏・宝珠等が多いですね。

日本の天皇家だと三種の神器が相当するのではないでしょうか。

恐らくブルネイでは王権の象徴が日傘と旗なのでしょう。

 

ブルネイ国旗について、ご理解頂けたでしょうか?

次はブルネイ国旗制定までの経緯について触れて行きます。

 

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ブルネイ国旗の制定までの経緯

かつて、ブルネイが位置する東南アジア諸国は西欧諸国による侵略を受けていました。

ブルネイは、位置している場所や地理的条件が植民地化するに余り値しない場所であった為…

東南アジアに進出してきたポルトガル・スペイン・オランダの興味を惹きませんでした。

 

進出してきたイギリスが、ブルネイの位置するボルネオ島北部を抑えますが…

熱帯雨林だらけで耕作にも不向きなボルネオ島北部をわざわざ開発しませんでした。

 

しかし、ブルネイはダヤク人という未開の部族の北上に悩まされていました。

そこで、ダヤク人を倒すためにイギリス人の探検家ジェームズ・ブルックに頼ります。

 

ジェームズ・ブルックはダヤク人を打倒するとサラワク王国を建国します。

しかし、彼はそれだけでは飽き足らず、領土拡大の為にブルネイへの侵攻を始めてしまいます。

 

こうしてブルネイは徐々に領土を奪われて行ったのです。

 

1888年、サラワク王国とブルネイの位置する北ボルネオがイギリスの保護領となります。

尚、ブルネイの王室では黄色一色の旗が国旗とされていました。

これです。

といっても黄色一色なので何の捻りもありませんが…。

 

 

1906年にはイギリスから駐在官が派遣されました。

これによりほぼ完全に植民地の様相をなしてきます。

 

そして国旗もこちらに変更になります。

国王一色だった前国旗に加えられた白と黒の平行四辺形。

 

黄色を横切るように配置されたこの平行四辺形は…

イギリス駐在官が派遣された年にこのような変更を受けた、と考えると…

国王の権力が分断された、妨げられた、という意味あいにも見えてきます。

 

この平行四辺形は宰相とか国王を補佐する補佐官的な意味合いが強いので…

形式的にはイギリスの駐在官よりブルネイ国王の方が偉いのですが

実際に権力を握っているのはイギリス駐在官である。

というのを暗喩しているようにも思えてしまいます。

 

1942年、第二次大戦がはじまり、イギリスを排除した日本軍がブルネイを占拠。

ブルネイ県知事として赴任した木村強氏は、ブルネイのインフラを整備します。

戦後、木村氏はブルネイ国王に呼ばれ、当時の統治について感謝されることになります。

 

第二次大戦終結後、再びイギリスの保護国となります。

 

1956年、ナショナリズムと早期独立を掲げるブルネイ人民党が結成される

1959年、イギリスの自治領となり、駐在官制度も廃止される。

同年9月9日、現在の国旗になります。

 

スルタンの権威やイスラム教を象徴する国章を国旗に配置することで

イスラム教国であり、絶対君主国家であるブルネイを取り戻した。

という意味あいに見えますね。

 

1971年には完全自治を達成します。

 

1984年1月1日に完全独立し、国連へ加盟しました。

 

完全独立は割と最近の事だったんですね…

これがブルネイ国旗制定までの経緯です。

                   

ブルネイの意味

ブルネイというのはマレー語で「ココヤシの実」を意味する言葉に由来します。

ダルサラームはアラビア語のDarus(土地)とSalam(平和)を合わせた言葉です。

これにより平和な土地、を意味します。

 

ただ、諸説あるのでこれ以外の説も存在する事は覚えておいてください。

 

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ブルネイの基礎情報(外務省HP)

国名:ブルネイ(文莱)

独立:1984年1月1日

旗制定:1959年9月29日

旗比率:1:2

面積:5765平方キロメートル(三重県とほぼ同じ)

人口:41.7万人(2015年)

首都:バンダル・スリ・ブガワン

民族:マレー系66%、中東系10%、その他24%

言葉:マレー語(公用語)

宗教:イスラム教(国教)78.3%、仏教8.7%、キリスト教7.8%、その他4.7%

通貨:ブルネイ・ドル

国歌:Allah Peliharakan Sultan(国王に神のご加護を)

時差:-1時間

 

まとめ

・黄色は王家を現す

・白色と黒色は宰相や大臣、地方補佐官を現す

・中央には国章が配置されている

・ブルネイ国旗は元々は着一色

・イギリスの駐在官制度開始と同時に国旗にも白色と黒色の平行四辺形が入った

・自治領になった際、国旗に国章を入れることとした

・完全独立はつい最近のことだった

 

以上です。

ブルネイ国旗、如何だったでしょうか。

液化天然ガスの8割が日本向けというのは木村氏の功績かもしれませんね。

いや、もしかしたら何の関連も無いのかもしれませんが(笑)

 

絶対君主制の国家ですが、医療費教育費も無く、所得税も無し。

イスラム教国なので戒律にさえ慣れてしまえば普通に暮し易い…

 

…ように見えますが実際どうなんでしょうね?

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