アフガニスタン国旗の意味や由来

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アフガニスタンという国は複雑な内戦が起きている国です。

アルカイダにタリバンにと様々な勢力が戦っていました。

その為国旗も色々と変わって行ったのです。

そんなアフガニスタンの国旗ですが…

タリバン政権崩壊後、アフガニスタン国旗はどうなったの?

どれくらい国旗がころころ変わったの?

その経緯も含めて説明します!

ちょっと見て言って下さい。

いやこれ本当にね、苦労したんですよ…長かった…

 

目次

アフガニスタン国旗の意味
アフガニスタン国旗の制定の経緯
アフガニスタンの由来
基礎情報(外務省HPより)
まとめ

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アフガニスタン国旗の意味

アフガニスタン国旗は縦三色旗です。

旗比率は2:3で中央にはモスクと麦の穂の国章が入っています。

中央に意匠がある時の旗比率である2:3なので実にオーソドックスと言えるでしょう。

縦三色の色は旗竿側から黒・赤・緑、となっています。

 

黒色は抑圧の暗黒の歴史、外敵の侵略を表しています。

赤色は独立戦争で流された血を表しています。

緑色は自由と平和、そしてイスラムの理念を表しています。

 

黒は独立闘争が激しかった国の国旗で良く採用されている色と意味ですね。

 

赤も同じく独立闘争の犠牲者という意味あいが持たされることが多いです。

他には共産主義や社会主義、トルコを表す場合もありますが、

ここでは独立闘争での犠牲だけのようです。

 

緑の自由と平和もオーソドックスと言えます。

ただ、イスラム教国にも関わらず、緑色にマホメットのターバンの色の意味が無いのは

逆にレアケースと言えるでしょう。

 

国章にイスラムの聖句が入っているから敢えてマホメットのターバンの色!からの

イスラム教!という意味を持たせなかったのかもしれませんね。

※国章の解説は下記にて行います

 

次に中央の国章の解説を行います。

国旗の国章だと白黒で解り難いので普通の国章を持ってきますね。

 

 

まず国章の中央にモスクが配置されています。

モスクの上側にはギザギザした文様、直下には数字的もの

モスク両側には旗。

その周囲を取り囲むように布で包まれた麦の穂が丸く伸びており、モスクの上部には

イスラムの聖句がアラビア文字で記されています。

モスクの下部の方にはパシュトゥー語。

 

まず、モスクについてです。

モスクというのはイスラム教における礼拝堂です。

 

そのモスクの中には説教壇とミフラーブが描かれています。

説教壇は…イスラム教について余り著者は詳しくはないのですが…

ウラマーと呼ばれるイスラム教の中でも聖職者的地位の人が

イスラムの教えを説く時等に使うのかもしれません?

因みに、イスラム教徒は便宜上、全ての信者は同等の為、

ウラマーだからより神に近い存在とかそういうことはありません。

 

次にミフラーブですが、余り聞いたことのない言葉ですよね。

これはモスクの中にあるキブラ壁に設置されるくぼみ上の設備の事を指します。

キブラ壁というのはイスラム教最大の聖地であるメッカの方向に向けて築かれる壁です。

イスラム教徒は日に五回、メッカの方へ向かって拝礼を行わなければならないのです。

当然礼拝の際はこのミフラーブに向かって礼拝を行います。

 

次にモスクの上側にあるぎざぎざしたものですが

これは昇りゆく朝日を意味しています。

 

モスクの直下にある数字っぽいものはずばり数字であり

イスラム歴1298年と記されています。

この年はイギリスから独立を勝ち取ったアマヌッラー王が

近代法を交付した年であり、西暦になおすと1919年となります。

 

モスク両側の旗は国旗だと白色なので良く解りませんがアフガニスタン国旗です。

 

一番上部のイスラムの聖句は

「アッラーのほかに神は無くムハンマドはアッラーの使徒である」

という信仰の告白と

「神は偉大なり」

という聖句が記されています。

信仰の告白というのはイスラム教徒に課せられた五つの義務のうちの

1つであり、イスラム教を信仰している事を証言する事です。

まぁ要するに私はイスラム教徒ですよ!とアピールする…

ということでしょうかね?

 

モスク下部にはパシュトゥー語でアフガニスタン、と記されています。

 

尚、この国章は1747年建国されたドゥッラーニー朝の頃から使われれています。

ドゥッラーニー朝は統一国家であり、始祖はアフマッド。

モスクを取り囲む麦の穂はアフマッドが麦の穂を王冠とした故事に由来しているのです。

 

以上がアフガニスタンの国旗の意味でした。

 

ちゃんと(?)イスラム教要素が沢山込められていましたね。

 

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アフガニスタン国旗の制定の経緯

紀元前、アフガニスタンはアケメネス朝ペルシャに編入された。

その後、アレキサンダー大王に征服される。

7世紀頃、アラブ人が侵入、イスラム教が広まり始める。

8世紀頃、イスラム帝国であるアッバース朝の支配下に入る。

その後はモンゴル帝国の支配下、モンゴル帝国が衰退した後は

再びイスラム系の王朝が入れ替わり立ち代わり支配した。

 

1747年、ドゥッラーニー朝が成立。

国章はこの時以来使われている…との事。

国旗はこんな感じです。

緑色メインでイスラーム!って感じですね・

 

1826年、ドゥッラーニー朝を治める王家が交代してパーラクザイ朝が成立。

 

1834年、国名をアフガニスタン首長国へと変更する。

 

1878年、第二次アフガン戦争が起きる。

 

1880年、イギリスに敗北し、イギリスの保護国となる。

真黒である…(笑)

 

1893年、イギリスとの間にデュアランド・ラインを制定。

これによりアフガニスタンとパキスタンの国境線が定められる。

 

1901年、国旗に国章が入る。

意匠が入りました!

 

1919年、第三次アフガン戦争に勝利。

イギリスからの独立を達成。

国章の周囲がオクトグラムに置き換えられました。

これはオスマン帝国では一般的な様式です。

 

1926年、アフガニスタン王国と改名。

 

1928年、国章を微修正。

今の国章にだいぶ近づきました。

しかし…すぐに再度の変更…

背景の縦三色はこの頃に決まった模様。

 

その後、近代化を推進した事で保守派の反感を買い内乱状態となる。

 

1929年、ムハンマド・ナーディル・シャーが混乱を治め国王となる。

 

で、変更された国旗がこちら…。

変更しすぎでは?

 

1930年、ふたたび国旗が変更!

因みに国章に書かれている年号は

イスラム歴で1348年、西暦1929年です。

ムハンマド・ナーディル・シャーが王になった年ですね。

いやぁかなりの自己顕示欲ですねこれはね。

 

1933年、ムハンマド・ナーディル・シャーが暗殺される。

息子のザーヒル・シャーが即位。

ザーヒル・シャーは1960年代には立憲君主制を導入、

民主化を進めて行きますが…

 

1973年、クーデターが起こりイタリアで療養中だった

ザーヒル・シャーはそのまま亡命。

クーデターの首謀者である旧王族のムハンマド・ダーウードが

共和制を宣言して大統領になる。

国名はアフガニスタン共和国。

国旗も変わります。

というか国旗変わりすぎじゃないですかね?

これから先もまだ変わるんですけど(笑)

ダーウードはソ連に近づき近代化を目指します。

 

1974年には国旗が再び変更。

緑色の意味は豊かな農業に置き換えられています。

左上には翼を広げた鷲とモスクの説教壇、太陽を描く。

1978年、共産主義者がクーデターを起こし、ダーウードが殺害される。

アフガニスタン民主共和国となる。

ヌール・ムハンマド・タラキーが大統領兼首相となる。

国旗は左上の紋章を取り払った横三色旗となる。

これに対して全土でイスラム義勇兵が決起し、内乱状態となる。

 

タラキー大統領兼首相が副首相のハフィーズッラー・アミーンにより殺害される。

1979年、アーミーンが国旗を変更。

しかし、同年12月、ソ連軍がアフガニスタンへ侵攻。

アミーンは崩壊、僅か三ヶ月しか掲げられなかった。

ソビエト連邦の初期国旗といい勝負ですね…(笑)

バブラク・カールマルが政権につき、再び旗は変更される。

尚、ソ連軍とイスラム義勇兵の戦いは続いておりました。

因みに、イスラム義勇兵はアメリカが密かに支援していました。

 

1982年、国連総会でソ連はアフガニスタンから撤退すべきという決議が下される。

が、当然撤退せず。

 

1987年、ムハンマド・ナジーブッラーが大統領に就任。

国名をアフガニスタン共和国へ戻し、国旗を変更する。

何が変わったのって?

国章ですよ国章。

共産主義で良く使わられる赤い星が消えたでしょ?

後本も消えましたね。

そして何故か残っている歯車…

(歯車も共産主義のシンボルで稀に良く使われるのです)

 

1988年、ソ連軍が撤退を開始。

 

1989年、ソ連軍撤退完了。

他国から来ていたイスラム義勇兵も各自、自分の国へと帰って行く。

残ったイスラム義勇兵達からタリバン政権が生まれ、

更にはアルカイダが誕生するのです。

 

平和になるかと思いきやソ連軍が撤退した後の支配権をめぐり

再びアフガニスタン紛争が始まります。

 

1992年、ムハンマド・ナジーブッラー政権が崩壊。

イスラム義勇兵主導によるアフガニスタン・イスラム国が成立。

 

暫定的に使われた国旗がこれ。

緑地には「神は偉大なり」

白地には「アッラーの他に神はなし」

と記されています。

すぐに変更されて1996年まで使用された旗がこちら。

これをよしとしない反対勢力により内戦が起きる。

 

1996年、内乱勢力の1つであったタリバンが首都カーブルを占領。

アフガニスタン・イスラム首長国の成立を宣言。

タリバンが掲げた旗は白一色なので一々揚げませんね。

ご了承ください。

またこの年、スーダンから追放されたピン=ラディンがアル・カーイダを率いて

タリバンへと接近。

 

1997年、タリバンは白い旗にシャハーダを書き加えます。

 

2001年、アメリカ同時多発テロが起きる。

NATOがアルカーイダをかくまうタリバン政権に自衛権の発動を宣言。

これによりアフガニスタン紛争が開始される。

同年、タリバン政権崩壊。

国際連合安全保障理事会により暫定政権が発足。

制定された国旗がこちら。

 

2002年、現在の国旗の原型となる国旗へと変更される。

 

ほぼ同じですね。

 

2004年、アフガニスタン・イスラム共和国が成立。

国旗も更に微修正される。

縦横比が少し弄られたそうです。

 

2013年、今の国旗へと変更される。

長かった…

内戦期間本当に長かったですね…。

というかまだ紛争続いてるようですし…

早く平和になる事を祈っております。

 

アフガニスタンの由来

アフガンはパシュトーン人の別称です。

アフガンには山の民、という意味があり、スタンはペルシャ語で国、を意味しています。

この二つが合わさって山の民の国、となったという説もあります。

 

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基礎情報(外務省HPより)

国名:アフガニスタン・イスラム共和国

面積:652225平方キロメートル(日本の約1.7倍)

独立:1919年

国旗制定:2004年

旗比率:2:3

人口:2916万人

首都:カブール

人種:パシュトゥーン人、タジク人、ハザラ人、ウズベク人等

言語:タリー語、パシュトゥー語の他、ハザラ語、タジク語等

宗教:イスラム教

通貨:アフガニー

国歌:アフガニスタン国歌

時差:-5時間

 

まとめ

・黒色は抑圧の暗黒の歴史、外敵の侵略

・赤色は独立戦争で流された血

・緑色は自由と平和、そしてイスラムの理念

・中央の意匠は国章

・上のぎざぎざは昇る太陽

・モスクの上部にはシャハーダ

・モスクの内部にはミフラーブと説教壇

・モスク左右の旗はアフガニスタン国旗

・モスク下部には1919年の年号とアフガニスタンと記されている

・アフガニスタンは長い内戦状態で国旗がめちゃ変わった

 

以上です。

内輪もめが続いてしかも勝ったのがイスラム過激派だった…

と、アフガニスタンに住む人々は皆大変ですね本当に…

タリバンがイスラム原理主義過ぎなければ良かったのでしょうが…

まぁそのタリバンの前身であるイスラム義勇兵を裏から支援していたアメリカが

敵視されてテロをされるというのも皮肉というか因果応報というか…

という感じもしますね。

自分で育てて敵対されて今度は潰しにかかるという。

いやー勉強になりますねこのサイト(自画自賛)

といってもアフガニスタン、またすぐ国旗変わらないよね…勘弁して下さい…

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