エジプト国旗は汎アラブ色と言われる配色をしています。
そして中央に位置しているのは鷲なのをご存知ですか?
ちょっと解り難い鷲をピックアップしつつ国旗について説明していきます。
その制定までの歴史も中々大変なものでした。
目次
エジプト国旗の意味
エジプト国旗の由来
エジプトの由来
基礎情報(外務省HPより)
まとめ
エジプト国旗の意味
エジプト国旗は上から赤色・白色・黒色で構成された横三色旗です。
中央には「サラディンのワシ」の国章が配置されています。
旗比率は2:3。
国章が映えるようにでしょうか?やや長方形です。
では各色の解説をしていきます。
赤色はおなじみ革命に流された血と国民の犠牲を意味しています。
まぁいつものように(?)王政とか植民地支配とかを打倒した時に
流された血をイメージしている感じですね。
赤と言えば革命で流された血、もしくは社会主義(共産主義)。
で、社会主義(共産主義)が成立する場合は革命(つまり血が流れる)がつきもの。
とまぁこんな感じで容易に連想できますね!
白色は輝ける未来を意味しています。
まぁ、革命やらなんやらしたんですから、
輝ける未来を国旗の意匠に採用するのは当然の帰結と言えよう!!
黒色は抑圧された暗黒の過去と敵の敗北を意味しています。
どこらへんからを抑圧された暗黒の過去と言っているのかが気になりますが…
エジプトも色々ありましたからね。
主にイギリスの植民地にされたりオスマントルコに支配されたり。
ただ国章がサラディンの鷹の時点でイスラム関連はOK!って感じなので…
やはりイギリスが問題なのでしょうかね。
この赤・白・黒の三色は1952年、王政を打倒してエジプト革命を行ったナセル率いる
自由将校団のアラブ解放旗に基づくもので、アラブ統一の理念を表している。
これは汎アラブ色と言われ、中東の国旗に採用される事がある色の組み合わせです。
落ち着いた色の組み合わせで個人的には好きですね。
因みに汎アフリカ色は緑・黄・赤
汎スラブ色は白・青・赤
皆さんの好みは何色ですかなー?
次に中央の国章、サラディンのワシです。
サラディンはイスラムの英雄であり、12世紀頃の人物です。
アイユーブ朝を打ち立て、獅子新王リチャード1世率いる十字軍と戦いました。
そして鷲は自由と独立の象徴でもあり、鷲の足元のリボンにあるアラビア語は
エジプトの国名が記されています。
エジプト・アラブ共和国。
ですね。
ん?
こんなの解り難い?
Do感ですわ。
なのでこちらをどうぞ…(すっ)
いかがですかお客様?
良く読み易くなったのではございませぬか?
公式の国章だとワシの胸元…中央の盾に左から赤・白・黒と…
縦に三色色が塗られておりまする。
そもそもサラディンがワシの意匠を使っていたかというのが若干こうね
怪しいらしいですがそこはそれ…
置いておきましょう!!(笑)
ではエジプト国旗制定の由来を見てみましょう。
エジプト国旗の由来
世界四大文明の1つであるエジプトは古来より栄えた場所でした。
ローマの頃はアフリカ西岸付近のカルタゴが農園で栄えていたように、
アフリカ北部は今では想像もつかない程豊かな大地だったのです。
ローマの属州になり、その後はイスラムに征服されました。
イスラムといっても様々な王朝が移り変わっておりまして…
最終的にはオスマントルコ帝国の支配下となりました。
どちらにせよ500年以上続いたイスラームの支配でしたが…
ナポレオンの遠征後、オスマン帝国の支配下から逃れたのもつかの間…
その独立をヨーロッパ諸国は認めませんでした。
1882年、イギリスの保護国となってしまいます。
1919年、エジプト革命。イギリスにと鎮圧される。
1922年、イギリスは、エジプトの独立を承認。
エジプト王国建国。
でも間接的な支配体制は続いたらしいです。
その時の旗がこれです。
イスラム!!
って感じの旗ですね。
ご存知ない方に解説しておきましょう。
緑色はイスラム教の開祖、マホメットのターバンの色と言われていました。
そして月と星もまたイスラムのシンボルなのです。
エジプト王国はパレスチナ戦闘でイスラエルに敗北。
独立後も続くイギリスの間接統治、王室への不満、経済不況…
不満は高まり続けました。
1952年、その状況を打開する為に再度エジプト革命が起きます。
このエジプト革命を起こしたのは軍の秘密組織、自由将校団!
秘密組織と聞くとなんかわくわくしますね。
そのフレーズだけで良い!!
え?僕だけ?そんな…
1953年、王政は敗死され、共和制へと移行。
エジプト共和国が成立。
国旗はこのように変更されました。
かなり今の国旗に近づきましたね!!
そして第二次中東戦争で政治的に勝利!
え?政治的に勝利って何かって…?
そうですよねぇ気になりますよね…でも秘…
嘘嘘!ちゃんと解説するから落ち着こうぜブラザー。
エジプトがスエズ運河をエジプトの国有化してしまったのです。
これに切れたフランスとイギリスはイスラエルを抱き込みます。
そして三ヶ国でスエズ侵攻を開始したのです。
おや?エリア88?
三対一でふるぼっこにされるエジプト。
降伏も間近と思われましたが…
なんとアメリカがいい加減にしとけよ!!と仲裁に。
こうしてエジプトはスエズを確保できたのです。
というわけで政治的に勝利したのです。
勝負に負けて試合に勝ったとはこの事か…!
1958年、シリアと連合してアラブ連合共和国
を成立。
この2つの星はアラブとエジプトですね。
しかしシリアは1961年には抜けてしまいます。
3年…短い…
エジプトはシリアへ高圧的な態度をとり…
シリアはエジプト市場への参入が拒否されたとの事で…
良い関係が築けなかったようですね。
哀しい事です…
エジプトは以後もアラブ連合共和国を名乗り続けます。
1971年、エジプト・アラブ共和国へと改名。
その背景には1967年の第三次中東戦争での敗戦等があります。
1972年、エジプトはリビアとシリアの三極でアラブ共和国連邦を形成。
因みにこの中央の鷹は「クライシュゾクの鷹」と呼ばれています。
これはイスラム教の開祖、ムハンマドの出身部族を表しています。
1977年、エジプトの裏切りにより連合は解体します。
そしてぶちぎれたリビアのカダフィは新しい国旗を数時間で用意させました。
1984年、お前のせいで瓦解したんですけど?
というエジプト君はその後も七年の間、
使い続けていた国旗をついに今の国旗へと変更します。
何なんだお前…(笑)
むしろ裏切られた方(リビア)が即変更ってなんかおかしくね…
とかなんかもやもやしますがとりあえず今の国旗になったのです!!
エジプトの由来
古代エジプトの都「メンフィス」の古代名「フゥト・カァ・プタハ」
がギリシャ語で「アイギュプトス」となり、ラテン語で「エジプト」
となったという伝言ゲーム説。
割と多いですねー(笑)
基礎情報(外務省HPより)
国名:エジプト・アラブ共和国
独立:1922年
国旗制定:1984年
旗比率2:3
面積:約100万平方キロメートル(日本の約2.7倍)
人口:9304万人
首都:カイロ
民族:主にアラブ人(その他、少数のヌビア人、アルメニア人、ギリシャ人等)
言語:アラビア語、都市部では英語も通用
宗教:イスラム教、キリスト教(コプト派)
時差:-7時間
通貨:エジプト・ポンドとピアストル
国歌:ビラーディ・ビラーディ・ビラーディ(我が祖国)
まとめ
・赤は革命と国民の犠牲
・白は輝ける未来
・黒は抑圧された暗黒の過去と敵の敗北
・中央のワシは国章でサラディンの鷲
・エジプトはイギリスの植民地だったが独立!したが間接統治されていた
・今は独立した
・今の国旗はシリアやリビアと連合国家を形成して離脱した後に制定された
・エジプトの由来は古代の都「メンフィス」がギリシャ語になりラテン語になった
以上です。
エジプト…連合組んでは解散し過ぎでは…
それで良いのか…!
後、ローマ人の物語を読んだ感じだと、古代地中海世界とエジプトって実は
かなり近かったのですよね。
それがイスラム教徒の長い統治によって心理的にも隔たってしまったというのは…
寂しい気もしますね…
まぁキリスト教世界とイスラム教世界の対立の最前線の一つでしたしね…エジプト。
その癖イスラム教世界でもあっちにふらふらこっちにふらふらと…
エジプトはいったい何をしているのか…(笑)
次回予告:ギリシャ国旗
パッと見独特な感じのギリシャ国旗。
しかし落ち着いてみてみればこれ星条旗っぽくね?
とか色々思いつつも実際はどうなのかを見て行きます。