チェコ共和国の国旗の意味や由来

<スポンサーリンク>

チェコスロバキアから分離して出来たチェコの国旗。

その国旗はチェコスロバキア時代のものを継承した国旗です。

赤色・青色・白色で構成されているため、汎スラブ色を採用したと言われるチェコ国旗ですが、実はそれは偶然だったとの事。

どういう経緯で汎スラブ色と同じ配色になってしまったのか…

ここで一緒に見て行きましょう。

 

目次

チェコ国旗の意味や由来

チェコ国旗の制定の経緯

チェコの由来

基礎情報(外務省HPより)

まとめ

<スポンサーリンク>

チェコ国旗の意味や由来

チェコはチェコとスロバキアが分裂した事で誕生しました。

しかし、チェコの国旗は旧チェコスロバキアの国旗をそのまま継承しています。

 

チェコ国旗は青・白・赤の三色旗です。

汎スラブ色の配色となっていますが、これは偶然とのことです。

そこらへんは制定の経緯を見て行けばご理解頂けると思います。

 

チェコ国旗の旗比率は2:3。

オーソドックスな旗比率と言えるでしょう。

似た配色のロシアやオランダも2:3なので似ているのは色だけではなく旗比率も、ということでしょうか?

まぁ2:3という旗比率は国旗の中でもとても多い比率なので一致していても何も不思議ではありませんが…

 

それではチェコ国旗の色について視て行きます。

まずチェコ国旗の赤と白は赤地に白のライオンの紋章から来ているとの事です。

これはボヘミアの紋章由来との事で…

こちらから採られています。

また赤色は独立解放の時に流された血、という意味もあります。

白色は純潔を表します。

 

残った青色についてですが、こちらはモラビアとスロバキアの伝統的な国民色から取られたとの事です。

この青は空を表しています。

 

また、チェコ国旗は二色旗に青い三角形が入ったデザインとなっています。

この青い三角形にも意味がありこれはスロバキア地方東部にあるカルパチア山脈を象徴しています。

カルパチア山脈は全長約1500km。

日本の本州よりも長いです…

(測り方にもよりますが日本の本州が1200~1400kmくらいと思って頂ければ…)

最高峰がゲルラホフスカ山の2663m。

富士山の3776mよりは低いようです。

スロバキア地方のカルパチア山脈を国旗に取り入れる事でスロバキアも表している訳です。

(分離しちゃいましたけどね)

 

山脈を象徴する三角形に空を表す青を合わせているのは中々にお洒落なデザインな気がしますね。

 

<スポンサーリンク>

チェコ国旗の制定の経緯

チェコスロバキアはチェコ人とスロバキア人によって構成された国家でした。

両者はモラビア王国に属していました。

その後、モラビア王国はフランク王国に滅ぼされます。

ここまで両者は一緒だったのですが…

フランク王国が分裂する際、チェコとスロバキアは分裂してしまうのです。

チェコ(ボヘミア)は東フランク王国に所属。

スロバキアはマジャール(ハンガリー)に所属。

ここで両者は分かれてしまいます。

 

その後、チェコにはドイツ人が入植してきてドイツ人の支配を受けます。

スロバキアはハンガリーに支配されます。

 

ここでチェコとスロバキアは徐々に文化や生活習慣、慣習などがずれていくこととなるのです。

 

16世紀にはチェコはハプスブルク家によって支配される事となります。

ハプスブルク家による支配は、チェコ人を政治的、宗教的に抑圧するものであった為、反乱が起きました。

この反乱をきっかけに三十年戦争が起きましたが…結果としてチェコ人の待遇はより悪く…

 

その後オーストリア・ハンガリー帝国が成立、チェコもその支配下に入ります。

ですが、第一次で世界大戦でオーストリア・ハンガリー帝国が崩壊。

 

1918年、チェコスロバキア共和国の独立が宣言されました。

チェコスロバキア共和国というのはチェコとスロバキアが対等に共和国を構成して生まれた国です。

久々に一緒になった、ということですね。

この時に制定された国旗がこちらです。

なんと最初は赤と白の二色旗だったのです。

しかし、ポーランドと同じ国旗じゃないか、ということにより…

 

1920年3月20日、国旗の旗竿側に青い三角形を追加。

現在の国旗と同じデザインになりました。

こうした経緯で配色が汎スラブ色と同じになってしまいましたが…

この経緯を見ると…まぁ偶然…?かな。

という感じですかね。

皆さんはどう思われましたか?

 

これでめでたしめでたし…と終わりたいところなのですが…

もう少しだけ続くのです。

 

1939年、ボヘミアとモラヴィア(スロバキア側)はドイツの保護国となってしまいます。

こうしてスロバキア共和国としてスロバキアは分離独立しました。

チェコスロバキアは一時的に消えてしまうのです。

その時スロバキア共和国にて採用された国旗がこちら。

横三色旗になりました。

 

因みにこの配色で横三色だとつい比較したくなるのがこちら。

フランス国旗

フランス国旗と…

 

オランダ国旗

オランダ国旗です。

…。

自分でやっていて段々訳解らなくなってきたのでここらへんにしておきましょう。

第二次大戦が終わると、チェコスロバキアは復活、国旗ももとへと戻りました。

その後チェコスロバキアは共産国家になりましたが…

 

1989年、共産党体制が崩壊。

 

1993年1月、チェコスロバキアはチェコとスロバキアに平和的分離を行いました。

こうして今のチェコ共和国が誕生する事となったのです。

国旗もそのまま使用する事となりました。

スロバキアは国旗のデザインを継承せず、新規に作る事となります。

といっても汎スラブ色を使っているので配色的にはチェコと似ているのですが…

 

因みに、分離した理由はチェコはスロバキアが足を引っ張っているせいで経済的成長が妨げられていると主張。

(当時チェコはGDPがスロバキアより高かった…しかし経済成長率が低迷していました)

スロバキア側はスロバキア側で完全独立しよう!という意見が台頭していました。

当時、政治的主権がチェコ側に集中していたため、こういった意見が出てきていたようです。

 

そもそもチェコは重工業国として栄えてたので、農業国家であるスロバキアとGDP比較したらそりゃ当然高いですよね。

という話にはなるのですが…

ただ、税金等もチェコの方が高く、スロバキアの方が低い。

しかし、スロバキアの方に使うお金が割と多い、というどこかで聞いた事のある状態となっています。

スペインかな?

 

 

で、チェコ側、スロバキア側、両者ともに分離したい、となっていた時に…

両国の第一政党が分離を掲げる政党になってしまいましたので…

結果として分離独立、となってしまいました。

尚、分離独立した結果、目論見通り(?)チェコの経済は成長したとの事です。

 

チェコの由来

チェコというのはスラブ系民族チェコ人から来ています。

チェコという言葉そのものの意味は、ボヘミア地方に住みついた「最初の人」、という意味を持ちます。

定住権を民族名で主張するとは…やりますね(違)

 

<スポンサーリンク>

基礎情報(外務省HPより)

国名:チェコ共和国(略:

建国年:1993年

国旗制定:1920年

旗比率:2:3

面積:78,866平方キロメートル(日本の約5分の1)

人口:1061万人

首都:プラハ

民族:チェコ人95.5%、ウクライナ人、スロバキア人等

言語:チェコ語

宗教:カトリック10.3%、無信仰34.3%

通貨:チェコ・凝るな

国歌:我が故郷何処や

時差-8時間

 

まとめ

・チェコ国旗は青・白・赤の三色

・チェコ国旗の配色が汎スラブ色なのは偶然

・チェコ国旗の青色は空とスロバキアの山を表している

・チェコ国旗の赤色は流された血を表している

・チェコ国旗の白色は純潔を表している

・チェコ国旗の赤色と白色はボヘミアの紋章由来

・チェコ国旗はチェコスロバキア共和国だった時の国旗をそのまま継続使用している

・チェコ国旗の旗比率は2:3

・チェコ国旗は元々は赤と白の横二色旗だった

・チェコスロバキアからチェコとスロバキアが分離して今のチェコ共和国が出来た

 

以上です。

これもまた…分割統治による悲劇なのか…

とか思ってしまいますが、平和裏に分離独立できたので良かったのでしょう。

内戦とかなると悲惨ですからね。

実際内戦になったり片方の民族が片方の民族をしいたげている国も沢山あるのを考えると良かったのではないでしょうか。

<スポンサーリンク>

SNSでもご購読できます。

カテゴリー

コメントを残す

*